ブログ移転のお知らせ

およそ5年ほどtokimarublogというドメインで運営してきました本ブログですが、オフィシャルとしているtokimarutanaka.comと統合することになり下記URLへ移転しました。

https://www.tokimarutanaka.com/blog/

長い間ご愛読頂きありがとうございました。5年って結構長いです。

そして今後ともよろしくお願いいたします。

田中常丸

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Gmailのようなフリーメールを仕事で使うと信頼感は損なわれるのか

Google workspace のカスタムメールキャンペーンがよく届く。Googleが企業向けに展開しているクラウドツールのひとつで、@以降に社名など好きなものを使用できる。3ヶ月無料でトライしたらメールアドレスなので変更しづらく、そのまま課金モードに自動的に入るシステム。実にうまくできているなと思う。

そういえば昔、といっても6、7年ほど前だけど、広告上がりのあるベテラン写真家が「Gmailみたいなフリーメールを仕事で使うと信頼感がないので、仕事は来ない」なんて言っていたけど、今やトップのフォトグラファーも発注者もGmailだらけだ。その本人さえ今はGmailを使っているのではないだろうか。カスタムメールは2014年時点で世界で500万社が利用しているので、たぶん今は1000万社をゆうに超えている。その中の60%は米国上場企業の優良企業なので、収益が大きくてうまくいっている会社ほど裏ではグーグルのクラウドサービスを使っていることになる。虎の威を借る狐じゃないけど、公式メールのふりをしたGmailみたいな。

フリーメールを仕事で使うと信頼感が得られないのはもう過去の話しで、逆に昔はサーバーの公式っぽいメアドを使っているくらいで写真家として仕事ができたということだろうか。先のベテラン写真家のエピソードははったりが通用していた業界のシステムが終わり始めた象徴のようなものかもしれない。コネや人脈は未だあるにせよ良くも悪くも実力とアウトプットが全てで、アナリティクスやアルゴリズムに解析され、フォロワーなど全てが数値化されて世界中のクリエーターがフラットに並べられる世界。フリーのメールを使っているかどうかは、仕事の受注に全くと言っていいほど関係がない。

業界の既得権と構造を目の前で見ながら、これがいつ崩れるんだろうかと思っているうちに、あ今崩れたみたいな渦中の日々を過ごしている。それでも撮るという自分に根ざした行為には変容がない。荒木さんの言うような「撮って見ることによってしか生きること」ができない。もっと言えば、撮って見ていれば生きられる。少なくとも写真家として。

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仕事と遊びの中間は、歩くことにどこか似ている

仕事でも遊びでもないような、その中間が好き。少しの緊張と喜びがあってどこか浮遊している感じの。ずっと撮影の仕事をしてきたし現場は好きなので、その仕事でも遊びでもない中間に撮影が絡むとなお嬉しい。でもそんな都合のいいことってあるだろうかと思った。

少し変かもしれないが今これが仕事だと感じるのはこのブログだけで、もちろん他の仕事も仕事としてあるのだけど、自分にしかできないという点で毎回小さな達成感を感じている。撮影仕事も好きだけれど、打ち合わせからオーディションから本番からポスプロまで、どう逆張りしつつクオリティを高めながら効率的に行うかを常に考えているところがあってどこか停滞している感じがする。その点このブログは誰に頼まれたわけでもなくお金がもらえるわけでもないが、まっとうで独立した自分の仕事という気がする。

昨日は用事があって新宿まで行ってきた。最近は時間の許す限り目的地まで歩くようにしている。渋谷はもちろん、新宿、中目黒、下北沢、三軒茶屋。この辺りのエリアならだいたいどこへでも歩いて行ける。過去に中野と吉祥寺まで歩いたこともあるけれどその時はさすがに用事本編よりも、歩くことが用事みたいになった。吉祥寺となるともはや走っていたし、ちょっとした旅のようだった。もし飲む予定があるなら、一杯目のビールの旨さが格段に上がるので歩くのは結構おすすめです。

歩くという行為はまさに家と目的地の中間にあって、それは仕事と遊びのあいだにある何かに似ている。歩く時は色々と考えたり考えなかったりするし、楽しい時もあれば楽しくない時もある。目の前の風景や道を見ていることもあるし、音やすれ違う人に意識を集中することもある。思い返せば結構いろんなことを複合的に行っている。ひとつだけはっきりしているのは、歩くという行為は不思議とダークサイドには行かないということだ。むしろ歩けば歩くほど気分は良くなる。たまに疲れるけれどそれもまた次の休息を心地よいものにしてくれる。

労働でも余暇でもないその中間の行為も、不思議とダークサイドに行かない気がする。遊びすぎると仕事に戻れないほどに落ち込むし、労働をし過ぎても疲弊する。中間がいい。

RICOH GR3

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二日酔いと五島列島の旅

盛大な二日酔いの中で、夢と現実を行き来しながら午前中は過ぎていった。この歳にもなって二日酔いかと思いながらも、20代のころにあった不快さは不思議と無い。それが飲み方のせいなのか、身体の老化のせいなのかは分からない。進化であればよいのだがきっとそれはないだろう。酔いがただ続いていて、酒が抜けない感覚だけが有る。赤坂の韓国料理店で牡蠣とサムギョプサルを焼いてもらい、渋谷に移動してホッピーを飲み、それからまた渋谷のクラブ街にある韓国料理で韓国料理は一切注文せずに芋のソーダ割りを飲んでいた。記憶は欠落している。

二人の人類学者と五島列島をめぐる旅に出ていて、数日前に東京に戻ってきた。少し長めの海外旅行から帰ってきた時の日本語がうまく出てこないあの感じ、多分出るのだろうけれど英語での挨拶を身体が覚えていて抜けない感じ。言語ではないけれど、そういう違和感にここ数日間包まれていた。抜けないという点では二日酔いに似ている。それだけ島の世界観が染みたということなのだろう。

五島では協会をまわり、風呂に入り、五島牛のホルモンを食べたり、ハコフグの味噌焼きを食べたりした。長崎には130あまりの教会があり、そのうち50くらいが五島列島にあって、そのいくつかは2018年に潜伏キリシタン関連遺産として世界遺産に登録されている。今回は福江島に滞在した。出身地にも近い五島だが、訪れるのは初めてだった。島同士の移動がほぼないという住民の話しを聞いてどこか納得した。早く写真と映像をまとめたい。

ちょうど台風が来ていて帰りのプロペラ機が飛ぶか怪しい状況だったけど、無事に帰ることができた。その台風が北上して今東京に来ているのか、今日は朝から強い雨が降っている。ようやく気温も下がってくる季節なので、そろそろ山に入りたい気持ちが高まっている。今年もまた海と山を繋ぐような旅をしたい。

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Bunkamura ザ・ミュージアムでマン・レイと女性たち展

滑り込みで最終日にマン・レイの展示を観てきた。Bunkamuraを通りかかる度に掲げられたポスターをちらちらと見て、ああやってるないつか行こうと思いながら結局ぎりぎりになるという。家から近すぎることもあって、いつでも行ける気になっているものほど、逃してしまう。ある音楽家の「写真撮ってる人は絶対に見に行け」とのツイートがリマインドになった。雨が降っていて傘を持っておらず、雨宿りをするかのように濡れながらザ・ミュージアムへ駆け込む。

マン・レイ

不思議な名前だ。写真をちょっとやっている人なら誰でも知っている。しかしその不思議な名前で知った気になってしまい、彼の作品を深く読む人は実際少ないのかもしれない。僕もその一人だった。いわゆる古典であり、写真の教科書に載るような人。ソラリゼーションなどの実験的な写真を生み出した人。ファッション写真の系譜の中にありながらも、本流から少し離れたところにいる人。カルティエブレッソンやロバートフランクのようなスナッピーではなく、商業写真やスタジオ写真、タングステンでのアッパーなライティングのプレッピーな人。後の写真家たちに多大な影響を与えた人。マン・レイ。

今回の展示はそのような浅はかな知識を更新できる絶好の機会となった。

マン・レイはアメリカ出身だがフランスで活躍した時期が長い。1921年にパリに渡る。ダリやピカソ、ココ・シャネルにマルセル・デュシャン。みんなパリにいた。彼らのポートレートも撮っている。ダダイストやシュールレアリストたちの時代であり、パリが最も華やかだった頃。その雰囲気はウディ・アレンの映画ミッドナイトインパリに描かれている。つまりマン・レイは一番いいタイミングでパリにいた。だからこそアメリカに帰ってからも写真家としての成功を継続することができた。

彼の人生を辿るように、作品はほぼ時系列に展示されていた。パリに渡って最初の彼女、可愛くモードなおかっぱ娘、キキ・ド・モンパルナス。当時の街のアイコンだった。7年くらい付き合って別れて、その後アシスタントとして志望してきたリー・ミラーと同棲する。マン・レイの代名詞になっているソラリゼーションを発明したのは、アシスタントのリー・ミラーだった。その次に付き合ったのは若く美しいダンサーのアディ・フィドラン。1940年にアディを残してパリを去り、ニューヨークに戻ったのちジュリエットブラウナーと出会い結婚。50歳だった。その後ジュリエットとは最期まで一緒にいることになる。パリの楽しさから一転、マン・レイにとってニューヨークは一度挫折した街であり、好きになれなかったらしい。それですぐに西海岸へ渡る。西海岸にも飽きて、再びパリへ。その後は写真もゆるく撮りながら、執筆や絵画に力を注いだ。86歳、パリで死去した。

マン・レイは写真家の範疇を超えた総合的な芸術家で、今回の展示も絵画、彫刻、立体、文章、様々な作品がある。およそ250点。満足感がすごい。

時代的に全てモノクロ写真。黒い服と帽子を着て撮られたリー・ミラーがいる。計算されたライティングはピータリンドバーグの写真を思わせる。もちろんピーターのほうがマン・レイを参照している。カザーティー公爵夫人のポートレート、カメラの操作ミスで多重露光され眼が4つになった不気味な写真。婦人はそれを気に入り、喜んで社交界に配布した。今まで見てきたマン・レイの写真にそのようなエピソードがあったことを知って、思わずにやけた。そういえばベレニス・アボットはマン・レイのアシスタントだったんだ。

マン・レイは1925年には、ポートレート1カット1000フランの写真家になっていた。35歳である。19世紀は1フランが今でいう5000円ほどの価値だったようで、換算すると500万程度になる。ただし世界大戦でフランの価値が大幅下落した時期でもあったので、現在の感覚に無理矢理置き換えるなら100〜270万ほどだったと推測できる。それでもトップクラスの報酬だ。

最期は絵画に傾倒していくところも興味深い。カルティエブレッソンもそうだった。写真から絵画へ。この流れについてはもう少し深く考えてみる必要があるかもしれない。

マン・レイという名前は偽名である。本名はエマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudnitskyという。全然違うのが面白い。写真家としてデビューする時に、自らつけた名前だった。人間を意味するマンと、光を意味するレイ。光の人。どちらが姓か名か分からないことにマン・レイはこだわっていて、気に入っていたらしい。冒頭に書いた通り、確かに僕もマン・レイという名前に引っ張られてイメージを先行させたように、ネーミングすら作品なのではないかと思えるくらい強力なものがある。それはどうやら100年近く経った今でも効力を発揮しているようだ。

影響を受けやすいタイプなので、展示を見た夜に名前をトキ・マルに変更しようか本気で考えた。朝目覚めて、ばからしく思えて笑った。数年前に訪れたパリのモンパルナスの写真をもう一度見返してみようと思った。

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