一本のよなよなエールを最後に、歩き続けて考えたこと

土曜日か日曜日だった。いつものようにランを終えて、よなよなエールを飲んだ。よなよなエールはビールであるため、ランニング後に飲むのに適した飲料ではない。それでもその日はよなよなエールを飲まずにはいられなかった。何かに絶望していたわけでもなく、喜んでいたわけでもなく、悲しんでいたわけでもなかった。ラン特有の高揚感が、よなよなエールの酵母かホップか炭酸とシンクしたのだ。まるでよなよなエールの方から飲まれに来ているようだった。

さすがに走った直後に飲むのは抵抗があったので、玄関のドアの下で夕暮れまで放置しておいた。管理人が通りかかったら、ゴミだと思い回収されていただろう。幸いにも、よなよなエールはまるで現代美術作品のようにドアの下で見事に佇んでいた。買った頃と缶の温度はそんなに変わらないように思えた。西の空が赤く染まり、カラスがカァと鳴いた頃、薄暗い部屋の中で静かによなよなエールのプルタブを押した。天使がハンドガンに弾丸を装填するような音が聞こえた。

その一本のよなよなエールを飲んで以来、僕は素面だった。

10年前の話しではない。3日前の話しだ。このように書くとまるで長編小説の回想パートでも始まりそうな雰囲気だが、いつものようにすぐに終わるのでご安心を。3日間の素面というのは、幸いにも僕がアル中でないことを証明した。いや証明できるのだろうか?

よなよなエールを飲んで以来、不思議と何も欲さなかった。少なく食べて、水を飲み、歩いた。普段より多く歩いた。渋谷、新宿、品川、中目黒。場所はどこでもよかった。ハンドガンを構えた”よなよなエンジェル”に追われるように、1万歩、2万歩、3万歩と日に日に距離は伸びていった。体調も気分も過去最高かと思うほどに良い気がした。水を意識的に多めに飲むようにした。歩いていて水を連想するものがある度に、少し前に読んだソローの言葉が浮かんできた。「お茶やコーヒーではなく、水こそ賢者の飲み物だ」そんなことを書いていた。そして水を口にしながら、水こそ賢者の飲み物だ、水こそ賢者の飲み物だ、とつぶやくように思った。思いすぎてたまに口から出ていたかもしれない。だが僕に対して「大丈夫よ、あなたは賢者でも何でもないんだから」と突っ込んでくれる人は誰ひとりとしていなかった。だがそんなことも、もうどうでもよかった。警官に職質されなかったことを嬉しく思った。

素面でひたすら歩き続けて(彷徨うという方が正しいかもしれない)ふと浮かんできた言葉がある。

人が生きる為に必要なのは、服と、食料と水と、まずまずの寝床だけである。

誰かが、例えばガンジーとかジョンレノンとかが、言ったのかもしれないし、何かの本に書いていた言葉かもしれない。なぜこのような言葉が浮かんできたのか自分でもわからない。浮かんでくるというより、降りてくるという感じだった。それは先に書いた一連の流れが生んだものではないかと考えるようになった。ランも、よなよなエールも、歩くことも、水を飲むことにも全て意味があり、加えて今の気分や過去の記憶が混ざって出てきたものなのだ。

誰もが一度限りの人生を楽しむために、多くのものを手に入れようと欲望し、思考し、奮闘している。そして幸いにも条件の良い場所に生まれた人間は ー日本列島もそのひとつだろうー 学校で学び、車を買い、家を買い、職を持ち、婚姻関係を結んだり、動物と暮らしたり、人間関係を築いたりする。

今タイプしているマックブックに、カメラに、ピアノに、時計にデスクに椅子、テントに炊飯器に、バイクにプロテイン。洗濯機に冷蔵庫に、素焼きのミックスナッツ。THREEのアイライナーに、アクネストゥディオスのマフラー。エアポッズプロに、外付けSSDドライブ、物干し竿と、イカの一夜干し。金、名声、声明、土地、株式、ビットコインにリップル、髪の毛、エクステ、クイックルワイパー。

無駄なものが人生を楽しくする。無駄を作り楽しむために経済活動があり、資本主義経済は成り立っている。

効率化を求めすぎると、死に近づいていく。それは人間というものがそもそも非効率な生き物だからだ。しかし言いたいのはそういうことではない。生死に関わる話しはここではあまりにデリケートすぎる。

ただ、一本のよなよなエールから導き出された小さな冒険を記すこと。

服と、食料と水と、まずまずの寝床さえあれば、それ以外は特に必要なく、余った体力や時間を、好きな人や好きなものに全力でつぎ込むことができるのではないだろうか。それを愛と呼べるかはわからないが、愛のようなものに変えていけるかもしれない。喜びを全身で表現して、日々を全力で生きていけたらと思う。職質されない程度に。

それってあまりにも芸術的で、岡本太郎にすぎるかな。

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世界中のカフェからウェイターが消えたなら

先日たまたま入った渋谷のカフェで、今っぽい体験をした。

検温をしてテーブルに着くと、店員がQRコードの印字されたカード持ってきた。メニューでもなく水でもなく、おしぼりでもなかった。手持ちのiPhoneで読み取ると、メニューが表示されて注文ができるようになっている。ホットコーヒーを注文した。水はセルフ。しばらく時間を過ごしたあと、会計もブラウザ上で行う。注文を確認してクレジットカードの情報を入力して終了。店員がレシートだけをテーブルに持ってきてくれた。

コーヒーこそ店員が持ってきてくれたものの、注文した食事もセルフで取りにいくようにすれば一切人との接触がないままカフェを利用できる。僕たちが交換しているものは、コーヒーと預金残高とQRコードという人間には読めない記号なのだ。確かに便利だが、それが良いことかどうかはわからない。世界中のカフェからウェイターが消えたなら、多くの小説や映画は寂しくつまらないものになってしまうだろうから。もちろん現実も。

だけど確かにそのような世界に生きているし、これからますますそのような世界になっていくのだろう。

自分の中でもこれまでキャッシュレス化を進めてきて、それに伴いサイフの類を小さくしてきた。

その変遷はこちらの記事にまとめている。
財布に入っているカード類を簡単に整理する方法

2021年現在はこのようになっている。

格好つけて(ついていないのだが)フェススタイルと呼んでいるが、まあなんとも貧乏くさい。どういうわけか、着飾ることよりもますます貧乏くさく行きたい性格になってきている。これが歳をとるということだろうか?

人前でこのサイフ – そう呼んでいいのかはわからないが – を出すと、決まって2通りのリアクションがある。

ひとつは見ちゃいけないものを見たような、なんとも言えない表情をして見なかったことにする人、もうひとつは、えなにそれ、かわいい、ダサい、ウケける、やばいね等のリアクションをする人である。後者であればしめたもので
「フェススタイルなんですよ。東京の街をひとつのフェスと捉えているので。コレ雨に濡れても大丈夫なんです。さあ次のステージに移動しましょうか」
なんて二軒目の流れを自然につくりだすことに一役かっていたりする。

だがどのような店でもできる限り、デジタルな決済方法をとるようにしている。現金が物質的にかさばるということと、謎のサイフの説明が面倒だということもあるが、家計管理&確定申告簡略化のためである。電子決済であれば自動的に帳簿をつけてくれるようなものなので、作業時間が圧倒的に短縮される。社員を雇っていない個人事業主こそ、キャッシュレス化で楽をするべきだ。だから僕と食事に行く友人の中でも、このサイフを目の当たりにする人はそう多くない。

Paypayやラインペイや楽天ペイなど、今は電子決済過渡期で様々なサービスがある。だけど多くはクレジットカードに紐付けるので、クレジットカードを一本化すれば出金管理はとりあえず一元化できる。アリの巣の入り口は無数にあるけれど、女王アリの住む部屋はひとつというわけである。

今までのクレジットカードは決済してから引き落としまでに時差があるので、遅れて請求がやってくるのが通常だった。iPhoneにクイックペイが搭載されて以来、多くのカード会社がアプリを充実させて決済記録をリアルタイムに近いかたちで反映できるようになったが、それでも1日や2日のズレが生じる。

最近使っているKyash Cardはその問題を解決してくれた。使った瞬間にアプリ上に履歴を反映してくれる。アプリのアップデートにより、簡単な分類まで。

Kyash Cardはクレジットカードとプリペイドカード(あるいはデビットカード)の機能を併せ持つので、ユーザーの工夫で様々な使い方ができるのも好感がもてる。普通にVISAとしても使えるし、銀行口座から好きな金額をチャージしてスイカ的に使うこともできる。引き落とし先を銀行口座ではなく、別のクレジットカードに設定すると、双方でポイントが貯まる。当初は2%以上の還元率だったため、ポイント野郎たちの中で話題となった。(購入→paypay→kyash→他社クレジットカードという出金経路をつくれば、それぞれのサービスでポイントが規格外に貯まるというわけである)

現在友人紹介キャンペーン中なので、ブログを読んでくれている方にリンク公開します。
https://kyash.me/invitations/ZO3m4uVK

900P(900円)チャージされ発行手数料が実質無料になるので興味あるかたは試してみてください。

アプリの使い勝手もどんどん良くなっており嬉しい限りです。

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シブヤパトロール

1月8日から二度目の緊急事態宣言が発令され、飲食店の営業が夜8時までとなった。

一人暮らし独身、持ち物・子供なし、職業不詳・住所渋谷の僕にとって、飲食店が8時までしか営業しないことのほうが緊急事態である。緊急事態すぎて、何かを漏らしてしまいそうだ。
「歳をとるにつれて、身体のいろんなところが緩んでいくぞ、しっかり締めておけ」
と先輩たちから笑い話で聞いていた言葉が、だんだん笑い話ではなくなっていくような、そんな感覚がある。

移動が制限され毎日渋谷をぷらぷらしている身としては、お店が本当に8時までしか開いていないのか気になるところである。”ぷらぷらしている”と言うと怪しまれるので、親や友人にはパトロールしていると言っている。シブヤパトロール、渋パトである。お巡りさんに職質を受けそうになった時も、こっちもパトロールしているんですよという言い訳が通用するし、パトロールの雰囲気を出しているのでなかなか職質もされなくなる。渋谷においては背筋を伸ばして、普通の服を着て、カメラをぶら下げて観光客然とした顔をしておけばとりあえずは大丈夫だ。

連休初日に世間の様子を伺おうと、シブパトを行った。そこにあったのはいつもとそんなに変わらない、ただの渋谷であった。検温とマスクの風景はあるものの、いろんな場所でイベントが行われていた。飲食店も8時には閉めなくてはいけないので、昼から飲みましょうよと普段はできない提案をしている。なんとなく浅草や上野のような、あるいは南の島のビーチリゾートのような歓楽な雰囲気があった。

店が売上を伸ばせるかはさておき、8時までに飲みを切り上げるのも良いなと思った。昼や夕方頃からおっぱじめてしまうのである。旅に出るときに新幹線や空港で、時間帯に関係なく(それが早朝のフライトであっても)おっぱじめて初めて、旅が始まるということを冒険者=おっぱじめボーイズたちは無意識のうちに体得している。8時に切り上げて夜は早く寝て、朝早く起きて健康的な生活を送れるかもしれない。ポジティブに言えば飲酒に8時強制終了という有限性を付与されたのだ。

さて8時以降に小腹が空いたので、実際に食事処を巡ってみた。今回も小池さんとガースーの言うことは誰も聞いていないので(特にここ渋谷では)、食にありつけるだろうと楽観的に考えていたが、行きたかったほぼ全ての店が見事に8時で閉店していた。それもそのはず、休業補償は6万に引き上げられ客単価の低く小規模な店は昼営業して毎日8時に締めて補償を受けたほうが月間総収益は上がるのだ。繁盛していない店ほど閉めちゃったほうが良い、という状況になっている。

まだ8時なのに静かになった渋谷は、僕に長崎の田舎を思い出させる。海辺に移動式のラーメン屋台だけがぽつんとあるような、田舎の港町。遺跡を訪れ遠い過去に栄えた文明に思いを馳せる冒険家になったような気がした。どことなく悲しく、虚しく、そして寂しい。渋谷=田舎、渋谷はもうかつてのシブヤではなく既にイナカなのではないだろうか。

街は人がいてこそ街になるのだという事実を無慈悲に突きつけられたような、そんなシブヤパトロールだった。

Shibuya, Jan 10 2021 ©tokimarutanaka

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スーツケース1つ分の衣類

ナチュラリストが海の見える家で暮らすことを熱望するように、ミニマリストはスーツケース1つ分の荷物で暮らすことを熱望している。

ミニマリストと名乗る多くの者達は、実際に1度は自分の持ち物をスーツケースにまとめてみた経験があるのではないだろうか。

しかしスーツケースを実際に部屋に置いて、自分の持ち物を眺めて、入れてみようと思った次の瞬間には、それが不可能であることを悟る。衣類、調理器具、PCやカメラ、衛生用品、チェスやオセロ、その他の細々としたもの。スーツケース本来の役割である衣類というジャンルに限っても、そこに収まらないことに絶望したことだろう。

モノではなく容器から持ち物を精査する、というのは整理術においてよく使われるテクニックだ。すなわち先にバッグや、タンスや、収納するスペースを決めて、そこに収まる分だけを持つと言う考え方である。入り切れないものは捨ててしまう。

この方法は、都民ファーストならぬ容器ファーストと呼ばれる。呼んでるのは俺だけだが。容器が、つまりバッグやタンスやスーツケースが好きで好きでたまらない人向けだ。好きな容器があってその容器を使うことを最も優先させる人にとっては有効かもしれない。(例えばLOUIS VUITTONのトランクやHERMESのバーキンとか)

極端に言うとそのような人は荷物は入れずにただその容器だけを持てば良いと思う。中身は何も入れず、そのバッグを使いたいがために持ち運ぶ。中身は何も入っていない謎の壺を部屋に置いているのも同じような種類かもしれない。完全に変態ではあるが、容器ファースト主義者の美しい姿だ。

実際ミニマリストにはこのような極端な容器ファーストは少なく、中身のモノを主体に考える荷物ファーストがほとんどだ。

ではスーツケースに持ち物を収めるにはどうしたらよいだろうか。

近道のようなものは残念ながら無いのではないかと考えている。

災害などで全てのものをなくしたり、または何らかのきっかけで収入が途絶えてホームレスになったりした人は、すぐにスーツケースひとつ分の荷物で暮らすことができるだろう。しかしそれは望んでものを無くしたわけではないから、いずれもっと増やしていきたいと言う方向性になる。

ここでは、自ら進んで物をなくしていきたいという人の場合だ。そのような人たちも、一日で一切合切すべての物を捨てたとしたら、スーツケース1つで暮らせるようにはなる。モノは限りなくゼロになるけれど、おそらく心が追いつかない。今まで多くのもので暮らしていたので、少ないもので暮らすことに心と体が耐えられないのだ。気づけば、あれが必要これが必要、また2 3日でスーツケースから溢れ出すだろう。

このように一日で物を減らすことは難しく、生活する中で、また買って、また減らしてを繰り返すうちに、少しずつ生活スタイルそのものを変化させながらバランスをとっていくしかないのだ。モノと心身と生き方のバランスを。

その過程は流行的で商業的で軽くてポップな「ミニマリスト」というよりどちらかと言えば「修行」に近い。

僕も日々そのような修行に明け暮れて(なんのためになるのか全く持って不明だが)、5,6年ほど経つ。

家具を除けば、全ての持ち物はスーツケースとバックパックひとつ分に収まるくらいにはなっている。

家では実際にスーツケースを衣類入れにしていて、衣類に関しては全てがこの35Lのリモワに収まる状態だ。

今身につけているものと、この中身が衣類の全て (2021年1月現在)

衣装ケースや、ハンガーラックの類いは一歳所有していない。容器ファーストの罠に陥る人は容器があるから入れてしまうのであって、最初からなければその中に入れるモノを持たなくてすむのだ。しかし先に述べたように、一度にではなく、生活の中で徐々に総数を減らしていかなければならない。マラソンで少しずつ距離を伸ばしていく感じだ。日々少しづつ繰り返し、気づけば長い距離を走れるようになっている。

撮影機材を軽量化したので実際の旅や移動でこのスーツケースを使う事はほとんどなくなった。両手が空くこと、移動のしやすさを含めて、旅はバックパック一択だ。(または手ぶら)

引っ越しや長めの滞在の際は、衣装ケースや段ボールを運ぶ代わりに、このスーツケースをひとつ運ぶだけである。そして通常は衣装ケースとして使用する。この楽さを覚えてしまうと、もう服をたくさん持つことや、収納ケースを持つことはできない。

スーツケースの中身についてもここで紹介したいところですが、紙面が残り少なくなってきたので他で書きたいと思います。近々ミニマリズムに関するまとまった文章を書く予定ですので、同じように修行している人はお楽しみに。

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リモワとドンケ

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年始の絶望感

空気が凛としている。日本の冬。2021年が始まった。

緊急事態宣言が出るぞ、出ないぞ、出るぞ、出たー

年始に漂うこの絶望感はなんだろう?

緊急事態宣言が出ることが確定して、1月に予定されていた大切なイベントが2つほど取りやめになった。多分そのせいだ。あくまで個人的に絶望しているのだと思いたい。

しかし渋谷の街も正月の閑散感相まって、ゾンビ映画の後半みたいな雰囲気がある。ますます街から人が消えるのではないか。街から人が消えたなら、交差点の真ん中でI Am Legendとウィルスミス風に叫んでみよう。頭おかしくなったと思われない程度に、小声でね。

渋谷は割と大きな街なので、社会を知る1つの指標となる。居住者だけでなく近隣地域から仕事や買い物のために多くの人が日々訪れる。指標と言っても日本の、それも東京という小さなくくりの社会ではあるが。社会が絶望しているかを確認するには、道行く人に聞いてみるのが1番早い。「年始どうですか、絶望していますか?」

絶望感を解消する方法を考えてみた。

と言うよりも、普段行っている方法でこの絶望感を解消できるかというのが今回の挑戦となる。今回の絶望感は並々ならぬ絶望感であるからだ。

それは運動と、腸内環境と、呼吸である。今年はさらにストレッチを加えている。足を痛めたことをきっかけに、自分の体の硬さを知った。簡単なヨガを日々実践してはいたものの、使わない筋肉の柔軟性は年齢とともに失われていくようだ。トレーナーの指示に従って自分の足の筋肉を触ってみると、明らかに硬く凝り固まっている場所が数カ所見つかった。自分の体と言うのは、意外と自分自身で触る機会が無く知らないものだ。

サウナだけでなく自分なりにいかに「ととのう」か。日々の実践に集中することによってこの絶望感を解消していこう。

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ヨガと瞑想
ヨガする写真家たち

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