35mmカメラのコモディティ化

 

常丸です。

みなさんはカメラ持ち歩いていますか?僕はまた最近持ち歩く派に戻りつつあって、キャノンの普通の一眼レフだけを持ってぶらぶらしています。仕事行く時も遊び行く時も、平日休日もいつも同じです。少し前まではこんなに大きくて黒くておにぎりみたいな形のダサい最新の一眼レフを持ち歩くことに抵抗がありました。(キャノンの悪口ではなく、仕事では汎用性高く大変世話になっているカメラです)しかし、なぜか最近は、でかくてダサいこの感じが気分で、他国のアジア系観光客よろしく、首からぶら下げてきちんと構えてバシッと撮っています。35mmに関してはライカやx100fcontaxG2や、レンジファインダータイプばかり使ってきたので、実はシングルの一眼レフって今人生で始めて持ち歩いているかもしれない。そんな感じです。

この前仲良くしてもらっている写真家の松下君と話ていて「もう35mmだめだよ。皆が撮れるってことわかっちゃったから」と彼がふと会話の中で言ったのが心に残りました。彼はいつも独自の視点から機知に富んだ言葉を何気ない時にぽろりとこぼします。(「片手でレンズを外す感じは、片手でブラを外す感じと同じだ」は最近の迷言)

この35mm終焉感は非常に的をついているなと思いました。周りをあるいは、インスタに溢れる写真を見れば分かるように、ほぼ35mmのフォーマットで撮られています。これはあくまでもiPhoneで撮る一般の人ではなく、”写真している人”についての話しです。その中で、デジタルからのフィルムブームの流れ、メディウムの違いやカメラの違いはあれど、35mmフォーマットの写真で溢れかえっています。

写真師の時代は、写真を撮ることや撮れる環境を持っている事が特別でした。だからそれは希少価値があり、仕事として成立した。デジタルになって間もない頃は、デジタルが生み出す仕事のスピード感により、デジタルで撮れる人が重宝されるようになった。そして現在は、誰でもデジタルで撮れるし早いから、出て来る絵そのもので差別化を図るしかなくなった。(フィルムを使うのもそのためだけど、35のフィルムトーンさえも鈴木親さん、奥山さんにより普遍化した)つまりフォーマットの変容だけが、この35mmがコモディティ化した世界で唯一写真家として存在できる残された道なのかもしれない。少し大袈裟だけど、そんな雰囲気があります。

写真家たちを見てみてもそうです。石川竜一さんはハッセル、川内倫子さんローライ・RB、ホンマタカシさん4×5、石川直樹さんプラウベルマキナ、佐内正史さん、濱田英明さんペンタックス67、本城直季さんトヨフィールド。

商業系だと、蜷川実花さんcontax645、レスリー・キーさんフェーズワン、平間至さんフジGFX、伊藤彰紀さんフェーズワン、大和田良さんハッセルなどなど

知名度の高い国内の写真家を挙げてみましたが、このように中判以上のフォーマットを使う方とても多いです。もちろんー特に商業の人たちはー撮影の内容により最も適したカメラやフォーマットをその都度使用しますが。しかし作家系の人たちは、フォーマットをどんどん変えて行く派と、絶対に変えない派がいる。それほどにフォーマットを変えることが、写真そのものに影響し、作家性に影響するからでしょう。ただ今回考えたのは、35mmのコモディティ化により、35mmではどうしても成立しづらい状況になってきたということ。今後作家志望の若手たちが、中判以上に行くのは必然でしょう。

逆に、そのような体制の中で極まってくるのが35mmフォーマットがシグニチャーであるような写真家達です。ヨーガンテラーとか、テリー・リチャードソンとか、笠井爾示さんとかそのあたりは本当にすごいですよね。もう彼らしか使えない、使っちゃいけないという雰囲気はずっとありますね。今度会ったら、ずっと同じでどうして飽きないのですか?と聞いてみたいところです。ヨーガンからは「いやフットボールとフィットネスが好きで、カメラのことなんて考えたこと無い」でテリーと笠井さんからは「カメラより女が好きなんで」という答えを頂ければ本望ですが、実際みんな超戦略的かつ意図的に35mmを使用しています。

僕自身は中判はRBとハッセル、シノゴはトヨフィールド使っていましたが、肌に合わなかったです。今になって再開してみると、何か変わっているかもしれないのでダサい一眼レフに飽きたら試してみようかな。