二者択一ではないグラデー

様々な場所からゆるく降りていくというのは、何も今に始まったことじゃない。もう10代でも20代でもないのだ。勝手にやらせてくれ。歳をとるにつれて残された人生を考えるようになる時、別にミニマリストでなくても選択と集中を迫られる時が来るだろう。書くということは常に誤解を招くことであり、書かれているものが全てになりうることである。しかしそれを恐れないこと。突破していくこと。YesかNoかの二択ではなく、その中間の幾つものグラデーション、何もしない何も言わないということが選択としてあり得る。時としてそれは無視や無関与に見える。僕はその中間の選択肢を重要視する人物であり、グラデーションの中を生きる人だ。すなわち、写真を扱う者である。0-255