ローカルに無いという怖さと、クラウドに無いという怖さ。私たちは怯え続けるままに写真を撮り続けるしかないのだろうか。フィルムにしても簡単に燃え、流されてしまう。その恐怖からは「撮らない」という選択でしか完全に解放はされ得ない。写真家は怯え続ける動物なのだ。#写真 #写真家
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) December 22, 2017
フィルムで撮ればその場の空気や感情や音や、デジタルでは映らないものが写る
なんて幻想は早々に捨ててしまえ。
そこから写真が始まる。#film #写真 #フィルム #フィルムカメラ
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) December 21, 2017
「癒しというのは、癒されたいと願う前に、何かを癒したいという気持ちになれた時に始まることもある。」
空気、自然、星、もの、生き方そして人間に対する姿勢。写真以外でも藤代さんに多くの影響を受けていることは隠せない。いやむしろ写真以外で受けすぎてはないだろうか。 https://t.co/d9h8yH1ckz— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) December 18, 2017
写真はそれそのものが視覚的現実のコーピーであるために、技法や手法をコピーすることは二重的な意味合いが生まれ、意図的に行えばスティーブンメイゼルのファッション写真のように大きな効果を生む。
この世に新しい写真などとっくに無くて、全ての芸術は模倣からしか始まらない。#StevenMeisel
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) December 18, 2017
自分の写真でも、知人の写真でも最近は驚いたりワクワクすることがずいぶん少なくなったな。
マイナーでコントリビュートな雑誌はもちろん、ブランドのLOOK BOOKやキャンペーンも誰が撮ろうがつまらない。
もう後はシャネルかプラダのワールド撮るくらいじゃないとワクワクしないのかも。#写真
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) December 6, 2017
こんにちは、常丸です。
最近の写真に関するつぶやきを引っ張ってみました。
ここにきて風邪を患ってしまい、全ての予定をキャンセルして自宅で独り考えております。
これから少しだけ、仕事をこなして、今日はもう寝てしまおうと思っているところです。
カラダが不調な時は、何故かぽつぽつと過去の言葉やアイデアが浮かんでは消えて行く。
ヘミングウェイ含む多くの作家がアル中であったのは、敢えてそのような状況に自分を追い込み、ぽつぽつと水槽に浮かぶ気泡のような思考の気配を掴んでは、宙に離すためだったのかもしれないと思う。
ふと、金村修さんが「スナップは、場所性と時間しか残らない。その両者が鑑賞者の鑑賞する”いまここ”とただ手をつなぐ」*というようなことを言っていた事を思い出し、続けて内田ユキオさんが「広告写真家たちのいる前で失礼ですが、これから真に写真的価値を持つ写真はスナップしかないです」と言っていたのを思い出した。
二つとも一字一句正確な言葉ではなく、大きな意味合いを僕の中で噛み砕き、再解釈し再構築しているものだが、大体の内容はそのようなものだったと思う。
この二つの言葉は、僕のスナップ写真に対する向き合い方を形作っているものだが、どうしてここでそれを思い出したのか分からない。
ただ、自分で撮影したスナップ写真を見ていたら、そう思ったのだ。
忘年会を約束した方々には、迷惑をかけた。
新年会は必ず、場所性と時間を予め先取って、スナップ写真の如く開催しますので、ご準備の程よろしくお願い致します。
仕事は入れないで、風にきえないで。
参考文献
2017年の写真系の本で一番おもしろかったかも。ある程度基礎知識あったほうが楽しめます。
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