書くこと撮ることについて

僕にとって書くということは、写真を撮ることと対をなすものとしてある。それは何も精神的な話ではなくて、実際に撮る仕事と書く仕事が並行してあるということを意味する。最近思うことは、文章も写真と同じくらいかそれ以上長く、残る可能性があるのではないかということだ。例えばここで書いている文章や、ブログで書いている文章。その多くは仕事ではないけれど、結果として収益を生み、一部仕事(のように)なっている。写真の仕事は単発でアサインされて、クライアントに納品して、言うなればそこで終わり。その写真はファッションブランドのウェブサイトや、時に店頭のポスターや、ウェブ広告になったりするが、早くて1週間、長くても6ヶ月くらいの掲載期間で終わってしまう。そしてまた次の撮影仕事がアサインされる時、カメラマンとして僕が選ばれるかはわからない。幸い、毎回撮影を依頼してくれる担当の方もいるが、商業的なカメラマンには旬というものがあり、次々と若手の20代のカメラマンたちが活躍していく中、上に押し出されるようにその役割というのはゆっくりと衰退へと向かう。ほぼ趣味のような形で書いているこの文章の掲載期間は自分で決める。とても自己準拠的に、独占的に。あとはグーグルが存続する限りは毎月収益を上げ続けてくれる。並行して走っていた文章と写真。いつしか文章の方が写真に差をつけて先に走っていくということが今後あり得るかもしれないと考えるようになった。その時僕は少し悲しくなる。それは誕生日にまたひとつ歳をとっていくような、嬉しさと寂しさを含んだ、柔らかな悲しさである。