言葉が出てこない時は写真から文章の着想を得る。断片的に眠ることは一日の境界を曖昧にする。もしも昼寝を4時間してしまったら、果たしてそれは昼寝だろうか。眠ることを時間帯と長さに関係なく睡眠と捉えるなら、24時間という時間によってしか昨日と今日、今日と明日とを区別できない。日記を書いていて、24時間という時間で一日を測ることが、楽でありながらも本当に正しいのかどうかわからなくなっている。カメラには時計が入っていて撮影した日時をメタデータに記録してくれるから、画像ビューアソフトに取り込めば、それがいつ撮られたものかはっきりする。しかし、表面に見えている写真、その断片というのはいつも曖昧で、人の記憶に似ているようで時間的尺度を持ち合わせていないようにどうしても思えるのだ。それで、毎日蕎麦を食べて撮っていても、それがいつの蕎麦なのかはっきりしない。夜は中華にして、餃子とカニチャーハンと青椒肉絲でキリンラガーを飲んだ。大瓶でいいですかと言われて頼んだ後でメニューを見て、この店には中瓶もあるんだったと少し後悔した。食事を終えて店を出ると西の空は赤く染まっていて、これは確かに8月2日であると思いながらシャッターを切った。

2022年8月2日