仕事と遊びの中間は、歩くことにどこか似ている

仕事でも遊びでもないような、その中間が好き。少しの緊張と喜びがあってどこか浮遊している感じの。ずっと撮影の仕事をしてきたし現場は好きなので、その仕事でも遊びでもない中間に撮影が絡むとなお嬉しい。でもそんな都合のいいことってあるだろうかと思った。

少し変かもしれないが今これが仕事だと感じるのはこのブログだけで、もちろん他の仕事も仕事としてあるのだけど、自分にしかできないという点で毎回小さな達成感を感じている。撮影仕事も好きだけれど、打ち合わせからオーディションから本番からポスプロまで、どう逆張りしつつクオリティを高めながら効率的に行うかを常に考えているところがあってどこか停滞している感じがする。その点このブログは誰に頼まれたわけでもなくお金がもらえるわけでもないが、まっとうで独立した自分の仕事という気がする。

昨日は用事があって新宿まで行ってきた。最近は時間の許す限り目的地まで歩くようにしている。渋谷はもちろん、新宿、中目黒、下北沢、三軒茶屋。この辺りのエリアならだいたいどこへでも歩いて行ける。過去に中野と吉祥寺まで歩いたこともあるけれどその時はさすがに用事本編よりも、歩くことが用事みたいになった。吉祥寺となるともはや走っていたし、ちょっとした旅のようだった。もし飲む予定があるなら、一杯目のビールの旨さが格段に上がるので歩くのは結構おすすめです。

歩くという行為はまさに家と目的地の中間にあって、それは仕事と遊びのあいだにある何かに似ている。歩く時は色々と考えたり考えなかったりするし、楽しい時もあれば楽しくない時もある。目の前の風景や道を見ていることもあるし、音やすれ違う人に意識を集中することもある。思い返せば結構いろんなことを複合的に行っている。ひとつだけはっきりしているのは、歩くという行為は不思議とダークサイドには行かないということだ。むしろ歩けば歩くほど気分は良くなる。たまに疲れるけれどそれもまた次の休息を心地よいものにしてくれる。

労働でも余暇でもないその中間の行為も、不思議とダークサイドに行かない気がする。遊びすぎると仕事に戻れないほどに落ち込むし、労働をし過ぎても疲弊する。中間がいい。

RICOH GR3

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二日酔いと五島列島の旅

盛大な二日酔いの中で、夢と現実を行き来しながら午前中は過ぎていった。この歳にもなって二日酔いかと思いながらも、20代のころにあった不快さは不思議と無い。それが飲み方のせいなのか、身体の老化のせいなのかは分からない。進化であればよいのだがきっとそれはないだろう。酔いがただ続いていて、酒が抜けない感覚だけが有る。赤坂の韓国料理店で牡蠣とサムギョプサルを焼いてもらい、渋谷に移動してホッピーを飲み、それからまた渋谷のクラブ街にある韓国料理で韓国料理は一切注文せずに芋のソーダ割りを飲んでいた。記憶は欠落している。

二人の人類学者と五島列島をめぐる旅に出ていて、数日前に東京に戻ってきた。少し長めの海外旅行から帰ってきた時の日本語がうまく出てこないあの感じ、多分出るのだろうけれど英語での挨拶を身体が覚えていて抜けない感じ。言語ではないけれど、そういう違和感にここ数日間包まれていた。抜けないという点では二日酔いに似ている。それだけ島の世界観が染みたということなのだろう。

五島では協会をまわり、風呂に入り、五島牛のホルモンを食べたり、ハコフグの味噌焼きを食べたりした。長崎には130あまりの教会があり、そのうち50くらいが五島列島にあって、そのいくつかは2018年に潜伏キリシタン関連遺産として世界遺産に登録されている。今回は福江島に滞在した。出身地にも近い五島だが、訪れるのは初めてだった。島同士の移動がほぼないという住民の話しを聞いてどこか納得した。早く写真と映像をまとめたい。

ちょうど台風が来ていて帰りのプロペラ機が飛ぶか怪しい状況だったけど、無事に帰ることができた。その台風が北上して今東京に来ているのか、今日は朝から強い雨が降っている。ようやく気温も下がってくる季節なので、そろそろ山に入りたい気持ちが高まっている。今年もまた海と山を繋ぐような旅をしたい。

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Bunkamura ザ・ミュージアムでマン・レイと女性たち展

滑り込みで最終日にマン・レイの展示を観てきた。Bunkamuraを通りかかる度に掲げられたポスターをちらちらと見て、ああやってるないつか行こうと思いながら結局ぎりぎりになるという。家から近すぎることもあって、いつでも行ける気になっているものほど、逃してしまう。ある音楽家の「写真撮ってる人は絶対に見に行け」とのツイートがリマインドになった。雨が降っていて傘を持っておらず、雨宿りをするかのように濡れながらザ・ミュージアムへ駆け込む。

マン・レイ

不思議な名前だ。写真をちょっとやっている人なら誰でも知っている。しかしその不思議な名前で知った気になってしまい、彼の作品を深く読む人は実際少ないのかもしれない。僕もその一人だった。いわゆる古典であり、写真の教科書に載るような人。ソラリゼーションなどの実験的な写真を生み出した人。ファッション写真の系譜の中にありながらも、本流から少し離れたところにいる人。カルティエブレッソンやロバートフランクのようなスナッピーではなく、商業写真やスタジオ写真、タングステンでのアッパーなライティングのプレッピーな人。後の写真家たちに多大な影響を与えた人。マン・レイ。

今回の展示はそのような浅はかな知識を更新できる絶好の機会となった。

マン・レイはアメリカ出身だがフランスで活躍した時期が長い。1921年にパリに渡る。ダリやピカソ、ココ・シャネルにマルセル・デュシャン。みんなパリにいた。彼らのポートレートも撮っている。ダダイストやシュールレアリストたちの時代であり、パリが最も華やかだった頃。その雰囲気はウディ・アレンの映画ミッドナイトインパリに描かれている。つまりマン・レイは一番いいタイミングでパリにいた。だからこそアメリカに帰ってからも写真家としての成功を継続することができた。

彼の人生を辿るように、作品はほぼ時系列に展示されていた。パリに渡って最初の彼女、可愛くモードなおかっぱ娘、キキ・ド・モンパルナス。当時の街のアイコンだった。7年くらい付き合って別れて、その後アシスタントとして志望してきたリー・ミラーと同棲する。マン・レイの代名詞になっているソラリゼーションを発明したのは、アシスタントのリー・ミラーだった。その次に付き合ったのは若く美しいダンサーのアディ・フィドラン。1940年にアディを残してパリを去り、ニューヨークに戻ったのちジュリエットブラウナーと出会い結婚。50歳だった。その後ジュリエットとは最期まで一緒にいることになる。パリの楽しさから一転、マン・レイにとってニューヨークは一度挫折した街であり、好きになれなかったらしい。それですぐに西海岸へ渡る。西海岸にも飽きて、再びパリへ。その後は写真もゆるく撮りながら、執筆や絵画に力を注いだ。86歳、パリで死去した。

マン・レイは写真家の範疇を超えた総合的な芸術家で、今回の展示も絵画、彫刻、立体、文章、様々な作品がある。およそ250点。満足感がすごい。

時代的に全てモノクロ写真。黒い服と帽子を着て撮られたリー・ミラーがいる。計算されたライティングはピータリンドバーグの写真を思わせる。もちろんピーターのほうがマン・レイを参照している。カザーティー公爵夫人のポートレート、カメラの操作ミスで多重露光され眼が4つになった不気味な写真。婦人はそれを気に入り、喜んで社交界に配布した。今まで見てきたマン・レイの写真にそのようなエピソードがあったことを知って、思わずにやけた。そういえばベレニス・アボットはマン・レイのアシスタントだったんだ。

マン・レイは1925年には、ポートレート1カット1000フランの写真家になっていた。35歳である。19世紀は1フランが今でいう5000円ほどの価値だったようで、換算すると500万程度になる。ただし世界大戦でフランの価値が大幅下落した時期でもあったので、現在の感覚に無理矢理置き換えるなら100〜270万ほどだったと推測できる。それでもトップクラスの報酬だ。

最期は絵画に傾倒していくところも興味深い。カルティエブレッソンもそうだった。写真から絵画へ。この流れについてはもう少し深く考えてみる必要があるかもしれない。

マン・レイという名前は偽名である。本名はエマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudnitskyという。全然違うのが面白い。写真家としてデビューする時に、自らつけた名前だった。人間を意味するマンと、光を意味するレイ。光の人。どちらが姓か名か分からないことにマン・レイはこだわっていて、気に入っていたらしい。冒頭に書いた通り、確かに僕もマン・レイという名前に引っ張られてイメージを先行させたように、ネーミングすら作品なのではないかと思えるくらい強力なものがある。それはどうやら100年近く経った今でも効力を発揮しているようだ。

影響を受けやすいタイプなので、展示を見た夜に名前をトキ・マルに変更しようか本気で考えた。朝目覚めて、ばからしく思えて笑った。数年前に訪れたパリのモンパルナスの写真をもう一度見返してみようと思った。

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健康診断の朝

ワクチン摂取の二日後に健康診断を入れたせいで今週が健康ウィークみたいになっている。健康診断について何か書きたくなるのは、何も起こらない日常の中でそれが非日常的なものだからだろうか。遠足やフェスのようだけど、積極的には参加したくないイベント。嫌いと言いながらも書きたがるということは、実はおまえ健康診断好きなんじゃないか、という自己分析。いやいや、そこは嫌いであってほしい。

健康診断という文字がスケジュールに入ると、その周辺の生活が正される。尿をとったり便をとったりしなければならないし、それらを忘れてしまうと健康診断には参加できないから。参加のチケットを取るのは簡単だが、本番当日までが難しい。予約できたからといって油断はできない。そして少しでも健康的な数値を出そうとする自分がいるため – それはたぶん意味のないことなのだが – 数日のあいだ食を正したりシラフでいたりして挑む。今回は二日前のワクチン接種もあったせいで、より禁欲的な日々を過ごしている。

それにしても健康診断の朝というのは時間がある。普段人間はどれだけ食べることや飲むこと、またはそれらを準備することに時間を費やしているかがわかる。いつもはコーヒーを作ったりスクランブルエッグを作ったり、軽いヨーガをキメたりする。だが診断まで何も食べてはいけないし、ワクチンで左肩が痛むせいでヨーガもできない。そういうわけでこうしてタイプライターへ向かっている。この後は写真や請求書の整理でもしよう。なんだ健康診断のおかげで仕事、進むじゃないか。

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ワクチンを打った日

新型コロナウィルスmRNAワクチンを打ってきた。今住んでる渋谷区では案内も7月ごろ届いてもっと早く予約することもできたが、どうせ打つなら近所の行きつけの町の病院で打ちたかったのでこのタイミングとなった。

打つ打たないの議論は様々あって個人の自由であり、ここでは打つことを推奨しているわけではないことを一応明示しておく。僕の場合は現場系という仕事上の理由と、香港に早く海老ワンタン麺を食いに生きたいからという2つが主なモチベーションになっている。単純すぎるだろうか。注射は嫌いなので、打たないで済むのなら打ちたくないというのが本音。

さて、ワクチンを打った日をここに書きとどめておこう。副反応や混入物で3日後に死んだら、これが最後の日記になるのかと思うと少し力が入る。

少し曇りの火曜日だった。朝起きてルーティン的なものをして家で仕事に取りかかった。1時という予約時間は1ヶ月前から決められているので、絶対に守らなければならない。カレンダーを見ると今日は走る日だった。ゆるい感じだが、走る周期みたいなものがある。今日を逃すと周期が崩れてしまう。でもワクチンを打った後に走るのはまずいんじゃないかと思った。そんなことを色々と考えて、結局12時近くになって走りに出た。

結構心配性で、あらゆる可能性を考えてしまう。走ってシャワーを浴びて、打つ前にご飯を食べておきたいと思った。空腹で打つのはまずいんじゃないかという全く根拠の無い心配がよぎる。でもお昼を食べる時間はどう考えても無かったので、その辺にあるバナナとトマトを食べた。当日の持ち物を確認したところ、問診票が必要だったので急いで記入して家を出た。

行きつけの病院だが、待合ロビーの椅子がビニールで仕切られていて、一人づつ座れるようになっていた。いつもと違うので緊張感がある。予約は30分ごとに区切られているらしい。僕は13時の枠だった。前に座っていた人が、看護師から「次の枠の13:30からみたいなので順番前後しますね」と言われている。きっと張り切って早く到着しすぎたのだろう。打つ前に走っちゃったりしてるギリギリの僕とは真逆だ。

待ってる間、明後日の人間ドックのことを考えていた。そう明後日は健康診断なのだ。どうして嫌いな病院関係をつなげてしまったのか。まるで健康ウィークみたいじゃないか。健康診断でまた血を抜かれるのが嫌だ。というか採血が嫌いだ。せっかく今日打ったワクチンが、採血で出ていったりしないのだろうかと考えていたら、名前を呼ばれて診察室に案内された。

いつもの院長先生から説明と問診を簡単に受ける。安心感と安定感がある。コロナにかかってもここに来れば大丈夫じゃないかと思う。「お風呂は入って大丈夫です、強くこすらないでください。お酒と激しい運動は今日は控えてください」問診が終わり、最後になにか質問はありますか?と聞かれ、聞きたいことは山程ある不安な自分がいた。たとえば、この後にラーメンと半チャーハンを食べても大丈夫でしょうか、など。なにせ得体の知れないまだ全てが解明されていない人類が開発した最新型のmRNAなのだ。打った後のラーメンと半チャーハンの油が、ワクチンの成分とバッティングするかもしれない。不安だったが、早く済ませたかったので「はい、大丈夫です」と言った。

看護師が来て消毒をして、打たれる。全く痛くない。むしろ針が入ったことがわからなかった。蚊が止まって皮膚に針を刺す前に追い払えたような感じだ。インフルのワクチンもしばらく打ってないので、筋肉注射の痛みがどのようなものか忘れていた。インフルのはもっと痛かったような気がするのだが。

15分待って病院を出た。帰りにラーメンと半チャーハンを食べた。

現在23時前。副反応はいまのところない。左肩に鈍い痛みがある。そしてその痛みは次第に増しているような気もする。夕方に重めのオンラインMTGが2時間ほどあったので、そっちの副反応かもしれない。うん、確かに肩は上げにくい。

と、ここまで夜書いて、朝。シンプルに左肩が痛い。腕全体を上方部に持ち上げようとする時に痛む。上がらない、上げられない、かっぱえびせんと言いたくなるところ。昨夜よりも遥かに痛みは強くなっている。夜も寝返りが打ちづらかった。周りから聞いていた通りの症状だ。体温計は持っていないので、熱があるかはわからない。意識は鮮明だし、PCもこうやってタイプできているから多分大丈夫なのだろう。それよりも明日の健康診断だ。一試合終えて、すぐに次の大会の準備をするプロスポーツ選手みたいに。俺はいったい何をやっているんだろうと思う。

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