人は誰もが、他人に理解できない事柄をひとつやふたつ抱えているものである。
それらは勇気を出して打ち明けられたところで、共感され、新たな生涯の友を得る結果になることはほとんど無い。
たとえ共感を得られ、新たな友が出来たとしても、今度はその友と共にそのまた他人に理解出来ないことを抱えて生きていくことになるのだ。
だから誰もがそのような事柄を心の中にそっと仕舞ったまま、日々を過ごしている。
何かの縁である。ここでひとつ僕の事柄を打ち明けてみよう。
湿気たシリアルが好きだ。
シリアルは普段ほとんど食べない。だけど年に数回、無性に食べたくなる時があって、買ってきては一度に結構な量を食べる。
パリパリ、サクサクの食感が売りであろうシリアルを牛乳でふにゃふにゃ寸前にすることから全ては始まる。
カレーを美味しくするために数日寝かせるように、僕はシリアルを開封したまま数日寝かせる。
東京の有害な湿気をたっぷりと吸ったシリアルは、牛乳につける前からしっとりとした歯ざわりに変わり、ミサで食べる小さな白いパンのように神聖ささえ獲得してしまう。
どうせ牛乳でふやかすのだから、最初からふやけていてもいいじゃない。そんな投げやりな気持ちもありつつ、ふやけすぎては食べる気が起きない。ラーメンやパスタの麺の硬さのように、その加減はとてもデリケートなものだ。
牛乳もヨーグルトも使わず、そのまま食べるのも好きだ。
最初から湿気てしまっているのだから、牛乳を使わずとも良い食感に相成っている。
同じようなものとして、湿気たポテトチップスも好きだ。
友人の家や自宅で飲み会をした次の日に、テーブルに残された湿気たスナック菓子群。
それらが妙に減っているとき、犯人は9割僕だと思って頂いていい。
湿気たシリアルやポテトチップスにはある種の美しさが宿っている。
誰にも理解され難い趣向性を突き詰めた時、イノベーションが生まれることがある。
僕が商品開発部に配属された暁には、「湿気たシリアル」あるいは「湿気たポテチ」という商品をまず最初に売り出してみようと思う。
懐かしき王道の、ケロッグ。オートミールも良いけれど、湿気させるにはやはりこの平たい形が最適だ。
オーガニック系で好きなのはエルサンクのこいつ。ただレーズンの配合比率がちょっと高すぎて、甘くなるのが難点。
完璧なダンスというものがこの世に存在しないように、完璧なシリアルも存在しない。
だから僕たちはシリアルという不完全性の中に、”湿気”のオルタナティブを見出そうとするのかもしれない。
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