ダミアン・ハーストで花見

代々木公園の桜が咲くより一足先に、ダミアン・ハーストの桜が国立新美術館を満開にした。昨年カルティエ現代美術財団がパリで催した展示では29点の桜が展示され、今回はそのうちの24点が集まっている。世界中のコレクターが持っている絵画を一同に集め、一瞬だけ花を咲かせ、そしてまたそれぞれの収蔵先へ返却される。まるで本当に桜みたいだ。ダミアンの作品を最後に見たのは、2012年のオープンしたての渋谷ヒカリエだった。パリで美術館を回った時は古典絵画と写真ばかりを見ていたので彼の作品を見た記憶はない。もしかしたらポンピドゥーあたりにあったのかもしれない。あれから10年も経つのかと驚く。ダミアン・ハーストといえば、サメや羊や牛を真っ二つに切ってホルマリン漬けにするような気味の悪い作品を想像する人が多いと思う。実際、彼は米国の入国審査時にどんなアーティストなのか尋ねられた際「動物をホルマリン漬けにして、ペンキで絵を描く」と言ったら、即別室に連れて行かれたエピソードがある。どの作品にも潜在するモチーフは生と死で、スカルもよく使われ、マーケットでは常に高値で取引される人。今回の桜は、端的に、とても日本人受けしそうな作品だと思った。キャッチーだがこれまで同様に、生と死と、ある種の気味悪さが内在している。彼はコンセプチュアルアート出身のため、最初は絵画を見下していたという。90年代は絵画を視覚言語として受け入れられなかったダミアンが、ようやく絵画に向き合ったという意味で新鮮さがある。もちろんこれまでもスポットペインティングやスピンペインティングで絵画を描いてきた。しかしそれは絵画を避けるために生み出した技法であり、描くことそのものから逃げていたのだ。複数のドットで生み出されるスポットペインティングも最初は油絵で描いていたが、インクの滴りが気になり、グラフィカルなミニマリズム表現へ移行した。そういう意味で今回の桜は原始的絵画への回帰であり、ダミアンが改めて絵画に夢中で向き合った作品だと言える。会場に入ると実物に近いサイズで描かれた大判の桜が没入感を与える。奥のスペースに行くに従い、更に画面サイズは大きくなる。動物のホルマリン漬けは観客に身体的反応を与えるが、その点では桜も同じだ。遠くから見れば具象になり、近くで見ると抽象になる。その両方を行き来することで遠近感が画面の中に現れてくる。そこには写真の平面表現がいくら挑んでも追いつけないマチエールの質量がある。19世紀のポスト印象派の影響もあるが、カンヴァスを立てかけて絵の具を投げて描くというのはフランシス・ベーコンからの引用だ。ベーコンの技法を用いて、ジャクソンポロックをやっている。桜というモチーフは子供の頃、母が描いていた桜の絵から生まれた。油絵は汚れるからと言って触らせてもらえなかったことが、逆に油絵への傾倒を生んだ。コロナ禍によるロックダウンも作品の完成度を高めた。最初は複数のアシスタントを入れて描いていたが、ロックダウンによりアシスタントが来れなくなるとダミアンは一人で制作を進めた。ロックダウンのおかげで作業に集中できたと本人も語っている。東京の桜はまだ咲いていない。咲いても1週間ほどで散ってしまう。そのような死の不可避性が桜にもある。始まりと終わりが同時にある春という季節、それは非日常と日常が混在する人生にも近しい。今年の桜を見る時、僕はダミアンの桜を思い出すだろう。

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