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Essay

どうして人は、スパイスからカレーを作るようになるのだろう

Indian Curry

「どうして男子って、スパイスからカレーを作りたがるんだろうね。いいじゃん、ルーで。うちのお父さんもなんだよね」

そういうセリフがどこからともなく飛んで来た時に、ああ、確かにな。どうして、男子はカレーをわざわざスパイスから作りたがるのだろう、と思った。そういえばそんな風に考えたことがなかったのだ。

もちろん世の中には、スパイスからカレーを作りたがる女子だっているだろう。話がややこしくなるので、ここでばセクシャリティの問題は捉えないでおこう。

思えば、僕の友人や、知人のフォトグラファーにもカレーを(スパイスから)作るのが好きな人が多い。わざわざ汐留あたりのインド系スパイス専門店で、ホールや箱でスパイスを仕入れて、休日のすべてを費やして厨房に立ち、煮込んだものを撮影現場に持参してスタッフに振る舞ったりする。

自己満足なのか、達成感なのか、料理・食に対する情熱なのか欲望なのか。

今はココイチに行けば、あるいはルーを使えばもっと簡単に、時間をかけずに(そしてまずまずの美味しさの)カレーを食べることができる。

仕入れや仕込み、そして煮込みの時間を考えれば、撮影仕事が一本できたり、意味のある論文や文献を一本読んだり、打ち合わせをしたり、ブログを書いたりできる。

それなのに、なぜ?

スパイスからカレーを作ると、人生に新たな意味や爽やかな価値を見いだせるのだろうか。

僕はその領域にいまだ一歩踏み出す事ができずに、スパイスとルーの中間にある、ブレンド済みのインディアンカレーをよく使っている。

おそらく、スパイスからカレーをつくる男子は、暇なのだ。

暇であることが第一前提。そうでなければ、スパイスからわざわざカレーなんて作れない。時間と金銭的余裕があり、さらに万事うまくいっていて精神的余裕もある、そして何かを達成していて、他にやることがもう何もない。

そのような状態になった時、人はスパイスからカレーを煮込み始めるのかもしれない。あるいは、すべての男子がそのような理想を追求していて、まだたどり着いてはいないけれど、理想の疑似体験としての”スパイスからのカレー”をある晴れた休日に実践してみたりする。

ナツメグ、コリアンダー、クミン、カルダモンの夢を、世界中の暇で暇でしょうがない男子たちが、今夜も追い続けている。