夜明け前に目覚めること

太陽が登る前にiPhoneのアラームで目覚めた。外ではまだ鳥の声も聞こえず、世界は死んだように静まり返っている。

ベッドの中でしばらくぼんやりしていると、釣りに出かける夜明け前を思い出す。早起きするときは大抵釣りに行く朝だった。10歳になるかならないかの頃、僕は釣りに行くために目覚めていた。午前3時か4時、前夜に準備したロッドやルアーケースを玄関に用意して親戚の兄さんの車を待った。

僕たちと釣り道具を載せた車は、朝霧の立ち込める長崎のとある島の山道を走っていた。ラジオからは90年代のポップスがかかっているが、それは小室ではない。夜と朝の交じる時間帯に、小室はあまりふさわしくない。兄さんはそういう音楽になると、チャンネルを頻繁に変えた。

ふと我に帰り、今日は釣りではないことに気づく。撮影だ。

釣りと同じく、撮影の朝も早い。ロッドとルアーではないけれど、前日にカメラや機材を準備しておくことも変わらない。だから僕はそれを”釣り”だと錯覚してしまい、少年の頃を記憶を脳の奥から引っ張り出してきてしまうのかもしれない。

キッチンに行って、お湯を沸かしてコーヒーを作る。足元のフローリングは冷たい。ゆらゆら揺れるガスコンロの炎を眺めていると、今度は僕の中のアニー・リーボヴィッツが立ち現れてくる。(僕の中にアニーがいたのか、という驚きもある)彼女のドキュメンタリー映画の中で、同じく撮影に出かける夜明け前のシーンがあって、僕はそこにある種のフォトグラファー像のようなものを重ねてしまう。子供へのI love youのメモこそ無いが、予定された時間に向かって身体が精神を超えて動くような、そんな様を見て取れる。

車の中に身体を納めて、明るみゆく東の空に向かって走るのはいつも心地よい。

美しいなとは思うけれど、美しいそれは空でも太陽でもなく、写真にできない時間と気分なのだ。

sky



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