水平をとりすぎない、ということ

こんにちは、常丸です。

それが風景であれ何であれ、写真において水平をとるかとらないかというのは、さりげないけれど撮影者の大きな意思表示のひとつである。

特にプロとして写真を撮影する者は、水平に対する意識が、無意識レベルで鍛えられているので、何も考えなくてもいつでも水平をとってしまう。(広告や建築写真がメインの人は特に)

これはもう癖のようなものだ。

しかし、時にそれが写真の魅力を損なうことがあることを、意識している人は少ないように思う。

僕は広告畑出身ではないが、写真を学んだのが、写真に厳しい(人はみんな優しい)営業写真事務所だったので水平がとれていないと先輩カメラマン方からよく注意された。

そこで鍛えられたこともあってか、今ではカメラを構えてサッと撮影しても、ぴしゃっと三脚を据えて撮影したかのように水平のとれた写真を撮影できる。

初心者でも最初からバシッと水平がとれる者もいるが、そういうのは稀である。ある程度の期間、水平を意識して写真を取り続ける必要がある。

さて今回の写真。

sea 2018 ©tokimaru
the sea 2018 ©tokimaru

最近僕は基本的に仕事以外の写真は、トリミングもしなければ、色調整もほとんどしない。

そしてこちらが同じ写真を、後で水平だけとったもの。

the sea edited 2018 ©tokimaru
the sea edited 2018 ©tokimaru

さて、どちらが良いだろうか。

 

個人的には、前者の方が穏やかだけれど広大な海、そして誰かが見た”そこにある海”に感じられる。(あるいは心のゆらぎや迷いを感じる人もいるかもしれない)

小さな船の上から撮影しているので、その揺れで傾いてしまったのだ。

後者は、何というか、安定しすぎている。

波が穏やかな上、画面も安定していると、つまらない広告写真のようだ。

 

荒木経惟さんの名作「センチメンタルな旅」には、横の写真を縦にしたような妻・陽子が写っている写真が一枚だけ登場する。

横の写真を敢えて縦に配置した、いわゆる写真集としての編集/レイアウトの問題だろうと思っていた。

しかし、荒木さん本人が後に

「寝っ転がって撮ってんだよ。だから縦なの。そのままよ」

とネタバラシをしてくれた時に、ああそういうことか、と妙に納得したのだった。

 

それは私写真というジャンルの話しではなく、スナップ写真全般において言えることだと思った。

1つも平坦な山は無い。山の中で景色を撮影しようと思えば、三脚を立てたって、傾くのだ。そこでは水平はとらない。そのまま撮ればいいんだよ、荒木さんは言うだろう。

水平をとらないことは、写真に”人間くささ”のような余地を残すということだったのだ。

アカデミックなヨーロッパ(ドイツ)の写真の対岸にあるような、情緒の写真。

そういう意味では、とても日本的な美的感覚なのかもしれない。

 

しかし全ての写真が水平崩し、というのもただの下手っぴだと思われるので、程々に。

文章もキャラが強すぎる荒木さんの名著。赤裸々に写真について語っている。これを読むと、エロくて変態”アラーキー”はただのパフォーマンスに過ぎず、写真に対する膨大な知識と経験と努力の上にそれが成立しているのがわかる。

 

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