こんにちは、常丸です。
スーパーや酒屋で見かけるこの、小さなビールたちが可愛らしい。
見かけは可愛らしいが、これは一体何のために、そして誰のために存在するのだろう。
料理酒用?お子様用?それとも、お酒があまり飲めない人用?
どれも違う。
この小さなビールはその対極にあり、敬虔なキッチンドランカーの為に存在していると僕は思う。
食事の前に飲まれるアペリティフ(食前酒)というものがある。
それは食事をする心とカラダの前準備のようなもので、食欲を増進させたり、消化を助けたりする効果がある。
フランスから始まったものなので、シャンパンやキール等発泡性のものが飲まれる事が多いが、日本の会席料理では梅酒が出されるし、ハードボイルド小説の中では、ジンやマティーニもアペリティフとしてよく使われる。
発泡性という意味では、ビールも十分アペリティフに成り得る。
実際に、”居酒屋”で飲む時は「とりあえず」ビールを注文する文化である。(それがひたすら続くほどに、ビールの存在は独自の地位を、それはそれは世界中で築いているけれど)
炭酸ガスは爽やかに軽やかに、口から胃袋まで続く道を潤し、その後に展開される賑やかな晩餐のパレードを、盛大な拍手と歓声を持って迎えてくれるのだ。
そう。アペリティフとしての小さなビールたち。
135ミリリットルの容量はまさにその役割のために、長年の解析を元に算出されたかのような宇宙工学的な趣さえある。
例えば、本日の主役がワインである時に、この小さなビールの存在が輝きだす。
アペリティフの条件として、後の食事と酒を一切邪魔しないことは必須だ。
ジャパンメイドのライトで小さなビールたちは、その役割を十分に演じてくれる。
もしも新しい恋人の家の冷蔵庫の隅っこに、この小さなビールたちが控えていたなら、十分に注意していい。
間違っても「私のために、小さなビールを用意してくれているのね、優しい」とか「大きな体して、こんな小さなビール飲むなんて、結構かわいいところあるわよね」なんて思っては絶対にいけない。
その人は、アルコール中毒者予備軍か、敬虔なキッチンドランカーである可能性が高いから。
トキマルタナカ、まだ酔ってはいない。
村上春樹氏の敬虔なドランカー的引用を持って、この章を終わりにするとともに、週末の幕開けとする。
金曜日は始まったばかりだ。
昔、村上春樹が「一杯めのウイスキーではほっとした気分になり、二杯めのウイスキーでようやく頭がまともになる。三杯めから先は味なんてない」と小説内かエッセイで言っていたけど、この歳になってよくわかるな。特に、二杯めで頭がまともになるというとこが。まるで素面の世界こそが虚構であるような
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) November 27, 2017