外部への接続可能性、地震

ひとりで仕事をしていると、誰にも会わない一日というのがある。オンラインでの接続もなかったので今日はそういう日だった。作業に集中できて良い反面、少し寂しいと思うこともある。今はこの日記という場所で内的対話ができるせいか、ますます人と関わらなくてもよくなっているのが怖い。毎日現場に出て撮影していた日々のことを思うと懐かしくもありながら、どのような精神状態でそれが可能だったのだろうかと不思議でもある。ちょうど日経の記事に、狩猟採集時代の人間はとても小さな単位のコミュニティで生活していて、現代のように毎日新しい人と出会う社会はここ最近のことだと書かれていた。社会性やコミュニケーション力みたいなものが持て囃され重宝されるような現在に、それが実は過剰なものだと指摘する人はあまりいない。いつも同じ場所いつも同じ仲間というマイルドヤンキーの世界観が各所で発生するのは自然なことで、都心部に暮らしている人も実際には2、3世帯の家族同士で仲良くしていたりして、実は1万年前とさほど変わらないのではないかと思う。おそらく問題はそのような村社会的で静的な生活をしていても、ネットによりどうしても接続してしまうことにある。そして私感だがそのような閉じられた(ように見える)コミュニティの人々にはなぜか面白い人が多いので、より外部へ自動的に、自然的に接続してしまうということが起きているような気がする。お昼は目黒まで歩いて行って、ランチタイムを過ぎて閑散とした店内でラーメンを食べた。豚骨でもなく醤油でもなく何の出汁を使っているかもわからないラーメンだった。noteから最近更新が無いですよという連絡がきて、夜に一本記事を書いた。その後23時30分くらいに揺れて、さらに7分後くらいに大きく長い地震がきた。東北遠海で震度6強、ここ渋谷区でも震度4という数字が出ていた。部屋に家具もモノも無いので、何も降ってはこなかったが床に置いたペットボトルの水がずっと揺れていて、揺れがおさまった後も自分がずっと揺れている気がした。

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