形式があるからこその自由

写真日記というタイトルがついている時点でこれはある形式に沿うものであり、いかに形式から逃れようとしても逃れられない。5月も終わりに近づいてさすがに5ヶ月も続けていれば慣れのようなものが出てきて惰性感も強まってくるが、形式がまたその継続を可能にしているのだと思う。写真を考えてみても日記のための写真ということで写真の中でも取り組むハードルが最も低いものなのである。これがもしストリートフォトグラフィーだったりしたら、多分他の仕事ができないくらいにストリートに滞在しなければならなくなるだろう。いや、それを仕事にするのが本来写真家か。

今日も暑くて湿気も酷かった。日記を書いて洗濯をしてネスカフェゴールドブレンドを作ってスタジオ関連の仕事をした。ついこのあいだ月末の支払請求について書いた気がするが、また月末かと嫌な気持ちになる。同時に月が変わることに何か得体の知れない期待感のようなものもある。DAO系組織のファンダとホワイトペーパーを数件読み込んでアセットアロケーションを再考した。株とクリプトにはまだまだ大きな乖離があるけれど徐々にその境界は融和しているように見える。Mirrorが文章NFTを実装したり、元we workのアダムがカーボンクレジットを利用したプロジェクトを立ち上げたりと世界は着実に動いているようだ。お昼はセブンイレブンの冷やし中華。美味くも不味くもなかった。

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