走ることについて語るときに 僕はそんなに語れない

 

二週間ぶりに3マイル程をランしてきました。いつもは週に1回どこかで、3マイル程走るのですが、最近仕事が続いたこともあり、走るタイミングを完全に逃しておりました。そういう時って、どうも気持ちが悪いんです。自分が自分でなくなってしまったような、ネガティブな感情や不安も出てくるし、全て調子が悪く思えてしまう。走ることでリセットできるというか、デフォルトのスタートラインに戻る感じがします。写真で言うなら晴天の日にスナップしている時に、シャッタースピード250の絞り8に戻して準備オーケーという感じ。そんな感じです。

走り始めてもう5年になります。当時勤めていた会社をサボって、ランニングシューズと、ランニングショーツとアイポッドミニを買って、そのまま走り始めました。(ランニング三点セットと呼んでいます)最初は週に3本程、その時は吉祥寺に住んでいて井の頭公園をぐるぐると。しばらくして週1のペースになりましたが、住む場所を変えながらも、飽き性の僕が今でも走り続けているのはランニングがそれだけ生きることを助けてくれるからかもしれません。

5年間でナイキのアプリに記録されたランはトータル214本、611マイルを更新中です。場所はほとんど東京ですが、長崎の海辺や、京都の町中を走った記録もあったり。これ本気のランナーからすれば、全く大したことの無い数字ですが、僕からしてみれば、結構走ってきたなあという感じです。昨年は何故か春日部マラソンに出走し、10キロの初レースを完走しました。(これも、フルじゃなくて10キロの部かよ、という感じではあるのですが)

走ることの面白さは、走る人でなければ気づかないと思います。脳内麻薬が分泌されたり、脳のある部分にセックスとランニングのみによってしか成長しない細胞があったり、科学的にもいろいろあるようです。しかし僕が思うランニングの素晴らしさは、手ぶらでひとりの時間を過ごせることだと思います。これだけ友人、家族、恋人、仕事、そしてアイフォーンやネットやらに囲まれて、常時過剰接続の中に生きる私達には、ひとりの時間がありません。

だけどランニングをしている時だけは、それら全てを手放して、(生まれたままの姿ではないにせよ)身体ひとつで限りなく身軽で、自由で、そして孤独なのです。一日24時間の中でたった、20分から1時間、自分と向き合う時間を作ることができる。これがランニングをする人々の持つ特権ではないでしょうか。

ヨガと瞑想を並行して続けてきた僕は、ランニングが瞑想に近いものであることにも気づきました。瞑想を行った日には走らなくても良いなという気になるし、ランニングをした日には、もう瞑想はしなくても良いなという気分になるのです。呼吸に集中するという点で、両者はとても近いところにある。

僕の周りにも走る人が多くいます。写真家の先輩や、デザイナーや、教員や。皆さん壊れるよというくらい僕より超ランナーなのですが、みんなとても美しい生き方をしています。そして若々しいです。

先程走り終わり、ささやかな幸福感に包まれています。始めた当初は死ぬほどきつかったけれど、今はもう次のランが楽しみでしょうがありません。

村上春樹が饒舌に走ることについて語る、銘エッセイ。春樹は最初の二作まではバーを営業していて、終わってから深夜に執筆していた。しかし、そのような生活とタバコに終止符を打ち、起きて執筆して走るという朝方のルーティーン生活になった時、本当の意味での小説「羊をめぐる冒険」が生まれた。(文体も断片的なものから、深く一本の線へと変化している)村上春樹が世界の作家になった瞬間だった。

 

現シューズはアシックス。最初はニューバランスのランニングシューズを履いていて、これ二代目だけれど走り易さにもうすっかりアシックスファン。日本人の足を研究し尽くしたジャパンメイド。走るのがより楽しくなった。ヨーガンテラーが履いているということもフォトグラファーとしてはかなりポイント高い。