暇と退屈の倫理学 – 國分 功一郎

久々に読書ノートを。

國分 功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」

暇とは何か。退屈とは何か。なぜ人は退屈するのか。

パスカルの気晴らしについての話しから、ハイデッガーの退屈論へ。

消費と浪費の違いとは?

現代の消費サイクルによって、人は満足から離れ退屈にとらわれてしまう。

贅沢を取り戻す、つまりその物を楽しむには訓練が必要。

贅沢を取り戻すとは、退屈の第二形式の中の気晴らしを存分に享受することであり、それはつまり、人間であることを楽しむことである。

楽しむことの訓練は日常生活の中で果たしうる。自分にとって何がとりさらわれの対象であるのかすぐにはわからない。かつ思考したくないのが人間である以上、対象を本人が斥けている可能性。

楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取れるようになる。

<人間であること>を楽しむことで、<動物になること>を待ち構えることができるようになる。

退屈とどう向き合うかは自分に関わる問いだ。それができたなら次の展開ができる。

つまり退屈とうまくやれるようになれば、他人に関わる事柄を思考できるようになる。どうすれば皆が暇になれるか、皆に暇を許す社会が訪れるかという問い。

コロナ状況で、退屈しているのか逆に忙しいのかわからない状況の中、とても読むことができた。

本書を読むこと自体が、暇と退屈について考えることであり、暇と退屈とどう向き合うかの実践である。

國分功一郎さんと一緒に、先代の哲学者や思想を読み解いていく感覚がとても面白い。書き手として上から語るのでなく、下から持ち上げるでもなく、共同作業をしているように読み手に寄り添う文体。個人的なエピソードで幕を開け、個人的なエピソードで幕ををっと閉じる。

西田正規の「定住革命」の引用は、ハラリの「サピエンス全史」を抑えていてもすっと理解することができると思う。

暇で、なんとなく退屈な人は生きるヒントを得られるだろう。

暇と退屈の倫理学

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