過去のヒット曲ひとつだけでやっているアーティスト

目覚めて、過去のヒット曲ひとつだけでやっているアーティストのことを思った。

その人は80年代頃にデビューして、90年代にヒット曲を作った。その曲はどんな場所でも流れて、ラジオやテレビ多くの場所で流れて、学校のクラスメートの口からも流れて、母や父も事あるごとに口ずさみ、おばあちゃんの口から流れてくることさえあった。

もちろん僕はそのアーティストの曲はその1曲しか知らない。おそらく国民の98%がそうだと思う。

いわゆる誰もが知っている曲。曲=そのアーティスト。そのアーティストすなわち曲。結構な頻度で、おそらく5年に1度ぐらいの頻度でそのようなアーティストが登場する。

僕が10代から今30代になったように、そのアーティストも50かそこらになっていると思う。今でもたまにテレビのジングルなどで使われたりしているのではないだろうか。テレビを見ないので僕はそのことを知らない。

YouTubeを見ているとおすすめにその人がたまたま出てきた。いい感じに老けていて、もちろん今も過去にヒットしたしたその曲を歌っていた。ストリートやゲリラライブでサプライズ的に歌っているようだ。

観客も本人に気づくのだが、過去のヒット曲しか知らないので少し気まずい顔をしている。両手を挙げて喜ぶほど本人を知らないし、とは言え無視できないほど本人のヒット曲を知ってしまっている。それも体で。音楽というのは思うより人の無意識に染み込むもので、当時聞いていた場所や空気を音と共に体が覚えている。

見ていると微笑ましい気持ちになり、複雑な気持ちになった。なんとなく本人にも観客にも哀愁が漂っているのだ。それは歳を重ねたせいではなく、おそらく両者が過去のヒット曲だけでまだやっていることを知っているからだろう。そして過去の1曲だけでまだやっていることをなんとなく後ろめたく思っている。

ヒット曲が一つしかない、という見かたと、ヒット曲が1曲でもあるという見かたができる。

個人的にはヒット曲が1曲でもあるからいいじゃないかと思う方だが、それはおそらく立場によって変わる。もしも音楽プロデューサーや音楽レーベルであればヒット曲が1曲しかない事を不満に思うだろう。

ヒット曲を連発させる人はすごい。ヒット曲なんてそんなに簡単に生まれるものではないからだ。マスメディアの力が弱くなっている今ではさらに難しくなっているだろう。聴く音楽やジャンルは細分化して個人の趣向の問題になっている。

ヒット曲を連発している人の曲はどれも同じように聞こえる。熱心なファンからすればそれは1曲1曲違うのだろうが、一般リスナーはそれを聞き分けることはできない。

過去のヒット曲ひとつだけでやっているアーティストは、熱心なファンがついていることが多い。そしてそのファンにしてみればそのアーティストのヒット曲は1曲だけでは無いはずだ。お前が知らないだけだよ、と言われてしまう。

ヒット曲を作らねばと意気込むアーティストと、どうせヒットしないのだから好きな曲を歌おうと開き直ってしまうアーティスト。いろいろいる。それは音楽だけではなく小説家やイラストやデザインや写真にも言えることかもしれない。この世界にはいろんなアーティストがいる。人間は誰しも何かを作りたいという欲望がある。動物が子孫を残すように、生理的に生きた痕跡を残したいのかもしれない。

ヒット曲を作るのは難しい。ヒット曲を作ろうと思ってヒット曲ができるのではなく、多くの要素が重なってヒット曲に仕立て上げられるのだと思う。

生きて、音楽を聴いていると、稀に、これは自分のための曲ではないだろうか?という曲に出会うことがある。

大きな声で「がんばらなくていいよ」とは言えないけれど、過去のヒット曲ひとつだけでやっているアーティストを小さく応援している。同時にヒット曲のないアーティストも。

ヒットしてもしなくても、どんな曲でも誰かのヒット曲になりうるのだから。いちリスナーとしては、むしろそのような自分にしか小さくヒットしなかった曲やアーティストを大切にしたい。

twitter : @tokimarutanaka
instagram : @tokimarutanaka
note : Tokimaru
store : TOKIMARU ONLINE
YouTube : Tokimaru Tanaka