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Minimalism

人はいかにしてミニマリストになるのか

 

「ミニマリストでもあります」と自己紹介すると「私もです」と返ってくることが隨分増えた。

この世界に住む人は、もしかして皆ミニマリストなのではないかという幻想さえ抱いてしまう。

人はいかにしてミニマリストになるのだろうか。

その過程にはそれぞれの物語があって、話を聞いてみると結構面白かったりする。

”幸せはワンパターンだが、不幸には人の数だけ物語がある”と言ったのはドストエフスキーだったか。

ミニマリストになるという物語が、全て不幸に基づいた話であるとは限らないけれど、実際ミニマリストたちの話を聞いていると、不幸発進が多い気がする。

妻に浮気されて、彼氏にフラれて、買い物癖がエスカレートして収拾がつかなくなって、人生の行き先を見失って、会社クビになって、生活費のために物を売りまくって、同じ毎日を繰り返すのが嫌になって、住む場所を変えたくて、どんどん物が壊れていって。などなどなど。

根底には、ミニマルな生活にシフトして何とかこの状況を脱したい、という思いがあるから結局は皆ポジティブなのだが、きっかけはネガティブ。そんな調子なのだと思う。

それほどドラマティックな理由が無くても、気がついたらミニマリストになっている、というパターンもある。実は世界経済や情勢と緻密に繋がっていて、人類社会の大きな流れの中でのミニマリスト化が進行しているということは肌で感じる。単にミニマリストというものへの興味から、ファッション的にミニマリズムを実践するものも多いが、こういうことが今更流行しているという事実が、ミニマリスト化を強いる環境や状況下にいるということの現れではないだろうか。

 

ミニマルな生活が既にベーシックになってしまった僕は、もう最近は特別ミニマリズムを意識することも無くなった。

しかし、今日は久々に、大きなものを無くしてしまった。

minimal light

ご覧の通り、部屋のデンキである。

部屋から明かりを無くすということは、文化、いや文明をひとつ逆行することであり、思考から光という概念を損なうことである。

ライトは、特にそれが部屋にひとつしか無い場合は、意識の中に光の象徴として存在する。

象徴が無いところには、消灯も無いし、もちろん点灯も無い。

光によって、活動時間をひたすら延長し続けてきた人類は、それにより身体をも進化させてきた。

ただ部屋の照明がなくなるだけで、拡張された身体を持て余すことになるとは、一体誰が予想できただろう。

 

経緯としては、備え付けのランプが密閉型のタイプで、中に3つの電球が入っていた。その中の電球がひとつ切れたので取り替えようとしたら、カバーがボルトでガッチリ固定されており、どう格闘しても外せないものだった。そこでソケットごと外してみたら、明かりの無い部屋がそこに現れたというわけだ。

新しいものを買いに行くのも面倒なので、しばらくこのままで生活してみようと思う。

幸い、自然光がたっぷりと入るので、昼間は何も変わりないが、当然夕方6時頃には暗くなるはずだ。

7時には寝てしまうのか、月明かりを頼りに何か詠むのか、暗闇の中で踊るのか。

今はまだ何も分からない。

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