もしも世界が100人の日記

日々日記を書くことも、写真を撮ることも過剰なことであると思う。慣習的なものへの倒錯。もちろん自分のために、あるいは作品のために日々日記を付けて写真を撮る人はいるだろう。写真家であればそれこそ写真くらい毎日撮っている。しかしそれを毎日公開して、開かれた場所のために、半分は誰かのために書いて撮るということは、やはり何か大きくズレているように感じる。書けることと書けないことの葛藤、見せられるものと見せられないものの判断、見せたいものと見せたくないものの境界、そして撮れたことと撮れなかったことへの後悔。日々後悔しながら公開していく作業にも彫刻にも似たこの行為に、もしも名前をつけるなら。もしも世界が100人の日記だったなら。ビール1本はタバコ10本分の害があるという研究結果を書いた記事を読んで、タバコを始めようかと思った。