目覚めたら知らない場所に

夜に見た映画が久々につまらなかったので今日はそのことについて書こうと思う。主人公が目覚めると病院の一室にいて、そこはメキシコの病院で実は地下室でコカインの製造を行なっていて、院内にいる麻薬カルテルの一派にひたすら院内で追われるというもの。だらだらとしたストーリー展開、ひたすらアクション続きで、一体何を見せられているのだろうとばかばかしくなり気付けば途中で寝ていた。自分の好きな映画の部類に「世界が終わりそう系」と「目覚めたら知らない場所にいた系」の二つがあって、それはヒューマンドラマやサスペンスやアクションなどのジャンルと同列にあるものだが、今回のは目覚めたら知らない場所にいた系。この種の映画は突飛なストーリー展開が可能なので、ファンタジーに寄りやすくなる。突然わけのわからない場所で目覚めて、わけのわからない物語に、例えば迷路とかに、巻き込まれていく。もちろん面白いものもあるのだが、正直見るのには賭けみたいなところがある。一方で世界が終わりそう系はアルマゲドンに代表される、何かまずいことが起こって世界が終わりそうになっていて、それに対して(基本的には全人類)一丸となって立ち向かうもの。この手の映画は、なぜ世界が終わりそうになっているのかをストーリーの中で順立てて説明する必要がある。だから子供でも酔っぱらいでも簡単にわかる展開になっているし、大体が(くそ映画も中にはあるけど)最後まで飽きさせずに見せてくれる。今日は失敗したなと思いつつも寝落ちから目覚めて考えたことは、私たちは誰でも毎日、目覚めたら知らない場所にいた系の現実を生きているということ。もちろん自分の慣れ親しんだ部屋のベッドで毎日目覚める人が多いのだろうが、時にその場所は変わるし、変わっていなくても昨日の自分とはどこか違う自分がいる。毎日どこかで目覚めるから、僕らは新しい日々を生きていける。だからこそ、目覚めたら知らない場所にいた系の映画には親近感があり、ついつい見てしまうのではないだろうか。世界が終わりそう系のように、隕石が降ってきたり、気候変動が起きたり、エイリアンが攻めてきたりというのはなかなか体験できていない。だからそれ欲しさに見るという、また別のアテンションがあるのも確か。とにかく、寝落ちして正解の映画だった気がする。