被写体の力を自分の写真の力だと錯覚することは、あながち間違いでもない

こんにちは、常丸です。

「力のある写真」とはどういう写真でしょうか。

素晴らしい構図を持っている、印象的な配色である、魅力的な被写体である。

一枚の写真は様々な要素から成っており、鑑賞する時はそれらを総合して判断されます。

現代美術作家の村上隆さんは、美術作品を鑑賞または制作する際のポイントを四つにまとめています。(参考文献参照)

それは

構図

コンテクスト

圧力

個性

です。

これは現代美術の領域に位置する写真だけではなく、一般の写真を鑑賞する際にも使えるポイントだと思います。

構図は画面内の構成、コンテクストは文脈・背景・状況・歴史、圧力は労力・画力、個性はユニークポイント。

”売れる”作家には、この4つの要素がすべて備わっているのです。

逆に言うなら、現代美術ではなくてもギャラリーに所蔵されるような”写真作品”の制作を目指すのであれば、この4つの要素が必要とされます。

さて最初の問いに戻って、「力のある写真」とは。

それは端的に、上記4つの要素を備えている写真だと言うことができる。

しかし最近、力のある写真の意味が変わってきているように感じるのです。

iPhoneとインスタグラムは、写真を変えました。

写真どころか、業界と広告のあり方を変え、ファッションブランドの精神や服飾のデザインそのものにまで変革をもたらしました。

2008年のアイフォン発売から約10年。新たなものが浸透する一つのサイクルが、今終わろうとしています。

僕は2008年に、国内初代の3Gを発売してすぐに購入しましたが、その時は周りに誰ひとりとしてiPhoneユーザーはいませんでした。(当時宮崎県にいたということもある。店頭に並ばなくてもすぐ買えた)

今では周りにiPhoneユーザーしかいません。そしてインスタグラムの流行は国内では2011年頃からでしたが、現在その浸透率は末端にまで広がり、その他SNSを抜いてトップです。

これまで著名人や芸能人を撮影した写真は「被写体主義」と呼ばれ、モダンな写真界からは長らく敬遠されてきました。

しかし、”プリント”という「圧力」の要素の一つであったものが、”ディスプレイ”(それも世界共通のアイフォーンという)に回収されその意味を持たなくなりつつある今、写真の力は「被写体」に頼らざるをえないという状況が発生しているというのが、今回僕が考えていることです。

四要素の中で、コンテクストの一筋(写真史と写真家の系譜を外した)と個性だけが強調されるようになってきている。

そこで、自然と被写体主義の見直しにポイントは集まってきます。

例えばカニエウエストに

「ねえカニエ、ちょっと近くまで来たから、お茶しない? 写真もすこし撮らせてよ」

と連絡できる写真家は、世界に2人くらいしかいません。

クライアント仕事ではなく、プライベートに”被写体力”のある人物を撮ることができるのは一つの権威です。

「写真は上手くもなんともないけれど、写っている人・モノがズルいほど良いよね」と言う場面がよくありますが、それらを撮ることができる立場にいるのには、それなりの理由があります。

被写体力に頼ってはいるけれど、その裏にはひとりの写真家が長年積み上げてきたたゆまぬ努力と、技術と、そしてあるいは運がある。

それは単に「被写体がいい写真」と呼べるけれど、そのような状況下に自分がいなければ”撮る”ことは決してできない写真でもある。

良くも悪くも、現場性という写真の本質が見え隠れする。

テクノロジにより誰でも写真が撮り学べるようになり、世界中の写真がフラット化し、年月をかければクリアできる技術的な要素は重要視されなくなった。

表向きの写真家像ではなく、ますます人と人との関係性が、写真にとって大切な時代になるのかもしれません。

僕も早くカニエ・ウェストに「ねえカニエ、今週土曜日空いてる?ちょっと渋谷で撮影したいんだけど。うん、ああ、キム・カーダシアンも一緒でいいからさ」

なんて言えるようなフォトグラファーになれるよう、精進していきます。

どれほど精進しても、たどり着けない領域がある。というのが、まさにその現場性なのですが。

参考文献

村上隆氏による「芸術闘争論」

現代美術の制作工程から、芸術について、アート業界の仕組みまで幅広く言及している。
現代美術だけでなく、写真分野の作家にも役立つと思う。

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