同じ機材で撮り続けること

佐内さんの写真集「写真の体毛」が届いた。512ページもあってとにかく重い。分厚いので本が机の上に立つ。さまざまな場所や時間の写真が無作為に並べられている、ように見える。氏曰く、一定の時間を経て、放っておいたら毛が生えてきたような写真をまとめたという。だから写真の体毛。最近の佐内さんは写真集の物質性を強調しているようだ。それもとても強く。銀河でもそうだったが、インターネットでは絶対に表現できない写真の質量。同じ写真でも、紙とインクを製本というマジックによって、質量の全く異なる写真集が生まれる。ページをめくっていると手触りのあるそれに若干クラクラした感じになる。昔の写真を今混合して組めるのは、製本やデザイナーの力量にもよるが、佐内さんがずっと同じ機材を使っているというのも大きい。ペンタックス67に90mm一本。デビュー時からカメラを変えないことによって、逆に自分の状況や変化が写真に現れやすい。僕も最近全く機材を変える気がしないのは、たぶん佐内さんの影響がある。しかしデジタルだと同じ機材を使い続けるのは難しく、フィルムカメラだからこそできることでもある。オリジナリティは新しいものを追うよりも、自分が心地よいと思うものへの固執や、ある種の諦観のようなものによって形作られるのかもしれない。日中は撮影をして、夜は近くの店で飲食した。芋焼酎のソーダ割りがなんとも寒い季節になってしまった。お湯割りにしないと。