石内都「肌理と写真」at 横浜美術館

 

横浜美術館で、石内都さんの展覧会「肌理と写真」が開催中だ。(3月4日まで)

石内さんの40年にも渡る写真活動の全貌を、時系列に俯瞰できる大規模な展覧会だった。

僕は石内さんに関しては「フリーダ・カーロの遺品」の写真くらいしか、きちんと見たことが無かったので、今回の全部出しの展示は一人の写真家を知るとても良い機会となった。

その日の午後、ちょうどCP+のイベントで、本人の話しも聞く事ができたので、交えて記していく。

この展覧会は大きく、横浜、絹、無垢、遺されたものという4つのシリーズからなっており、石内さんが写真をスタートしたきっかけから、母の死、そして遺品を撮ることと全てが、一本の絹の糸で紡がれるように、大きなスケールで連鎖していく。それは一人の人間=写真家の生き方そのもので、知るほどにその深みに圧倒される。

横浜 Yokohama

石内さんは8歳くらいから20代半ばまで横浜で育ち、過ごしている。デビュー作「絶唱、横須賀ストーリー」から始まり、母の遺品を撮影した「Mother’s」まで、横浜の暗室で制作されたようだ。

初期は粒子の荒いモノクロで撮られている。本人曰く、独学でプリントして「粒子を見た時、その隙間と隙間に空間があるような気がして、写真は平面でなく、立体だと思った」ということだ。彼女は多摩美大でグラフィックと織物を専攻しており、写真への興味は全く無かった。しかし横浜で撮影した、1978「Apartment」にて木村伊兵衛写真賞を受賞し、写真をやらなくちゃいけない状況になったと語っている。誰にも写真を学ばず独学。それで初期に名誉ある写真賞を受賞し、彼女は写真を撮り続ける人生を歩むことになる。それも「被写体が撮ってと語りかけてくる」という、自分の意思が介在しない「他者」による動機で。その原写真的原動力は、今なかなか得られるものではない。あるいは、その語りで写真行為を行うものは少ないように感じる。

「絶唱、横須賀ストーリー」の印象としては暗い、荒い、しかし美しさがある。モノクロ、国旗、車、というモチーフがどことなくロバート・フランクを連想させながら、そこは米軍施設があり、絶賛発展中の横須賀が捉えられている。

1977~「Apartment」モノクロ、横須賀のアパートのスナップ写真、時代性の表出である。水平をとらないこと、が逆に作家の生々しい写真欲を体現している様に思う。

1988~ 「ベイサイドコート」では同じく横浜の風景や建物、しかし室内だったり細部の表現がみられる。画面の密度も高めで、ベッド、壁、冷蔵庫。西洋への傾倒か、否定か。モノクロでニューカラーをやっているような印象だ。

2011~ 「Yokohama Days」ここではカラーになっている。横浜をカラーでスナップ。単なるカメラ女子写真に成り下がらないのは、その被写体と引きの感覚からくる生感か。エグルストン、ティルマンズを感じる。プリントがとても美しい。

絹 Silk

天井8メートルの真四角の空間に、大小様々なプリントで構成されるSilkのシリーズ。被爆した女性たちが纏っていたシルクの衣類を撮影したことをきっかけに、2011年、石内は故郷である群馬県桐生市を訪れ、遺された絹織物を撮影した。またファッションデザイナー、リック・オウエンスの父の着物と、徳島県の阿波人形浄瑠璃の衣裳も混ぜてある。

ここでようやく僕が知る、既視感のある石内さんの写真が広がった。それも空間一杯、色鮮やかに。かなりプリントの大小の差があり、引き寄り、見る角度、位置により写真は瞬間的に表情を変えていく。「本より、写真展の方が好き」と本人が言うように、インスタレーションの魅力が詰まった空間だと感じた。

寄って見ると、ブレだったり、フォーカスの甘さが見て取れる。プリントを大きくすると、そのように写真の”粗”が目立つが、それがまるで本人、または被写体と対話しているかのような親密さを生んでいる。
「勉強してない。全て35ミリ、手持ち、自然光よ」と、さらりと会話の中で出た言葉の意味を理解した。

無垢 Innocence

1990年頃から継続する傷跡のシリーズ。体に傷跡をもつ女性を集めた、モノクロのヌード作品で構成される。「不知火の指」は小説「苦海浄土」の著者である石牟礼道子の手足を接写した写真だ。

女性への共感と、生きることの肯定と賛美。石内さんにしてみれば、人間の肌と絹の生地というのは、痕跡という意味において同等のものなのかもしれない。

「人間の肌をカラーで撮ったこともあるけれど、生々しすぎてダメだった。肌はモノクロの方が美しい」と語った。

遺されたもの Belongings

母の死と向き合うために、母の下着等を撮影した「Mother’s」は、石内のキャリアの中で転機となる作品であり、本人が最も好きな写真集でもあるという。

評論家の飯沢耕太郎さんは、その写真集を初めて見せてもらったとき、恥ずかしくなり途中で本を閉じてしまったという。それは男性と女性による「母」の感じ方の違いから来る羞恥だが、石内は「死んだら残るものは遺品だけだった。だから遺品を撮るしかないのよ」と話す。

それが方向性の転機となり、その後、画家であるフリーダ・カーロの遺品の写真へとつながっていく。「Mother’s」を見たフリーダ・カーロ博物館の学芸員が、石内に撮影を以来し、2012年フリーダの暮らした「青い家」で撮影された。展示でもその青に合わせて、青い壁にフリーダ・カーロの存在が立ち現れていた。

「ひろしま」は広島平和記念資料館に寄贈された被爆者の遺品を撮影したシリーズである。「広島」でもなく「ヒロシマ」でもなく「ひろしま」
元々、平仮名は平安時代の貴族や女性が限定して使う言葉であった。境界としての「広島」でなく、原爆が落とされた「ヒロシマ」でもなく。それには被爆者の事物を通して、時間の蓄積と被写体を考察する意味合いが込められている。衣類が最後は土に溶け、鉱物となるように、展示の出口にはクリスタルで閉じ込められた被爆者の服があった。それは地中深くで鉱物になると同時に、写真として今この世界に開かれ、私達から再び目撃されることで、天に登っているような印象を与えた。



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