篠山紀信さんの「新・晴れた日」を観て – 東京都写真美術館

少し前になる。いやカレンダーの日付を見たら結構前だ。7月の半ば頃、東京都写真美術館で開催されている篠山紀信さんの展覧会「新・晴れた日」を見てきた。忘れないうちに感想をここにまとめておく。

現在東京都写真美術館はCOVID19の影響で時間ごとに枠を設けて入場者数を制限し、事前予約制になっている。WEBでの手続きが面倒だったので、そのまま行ったら入れてくれた。前回は森山大道さんの展示だっただろうか。一年ほど変わらない状況が続いていることになる。そしてなぜかビッグネームがこのタイミングで展覧会を行っている。

今回の展示は篠山さんの仕事を全体的に俯瞰できるような構成になっており、1960年代から2020年までの写真が2フロアに分かれて盛大に展示されている。篠山さんの写真を見ることは日本の歴史を見るのと近しい。それくらい時代を撮っている写真家だ。数年前で止まっているのかと思えば、2020年に撮られた写真も展示している。2021の今もおそらく撮っているだろうし、そういうところに写真家としての基礎体力と、写真の持つ時間の質量を感じる。

明星の表紙を並べていたのは印象的だった。雑誌媒体使用の写真を大きなサイズで見ると気持ちがいい。アンブレラ一発のストレートなライティング。こういうことを巨匠に言うのは逆に失礼になるのかもしれないけれど、素直に写真うまいなぁと思ってしまった。鑑賞している時はそれが篠山さんが撮影したという意識は消えていて、被写体がそのまま前に出てくる感じ。写真の持つ強さと、写真家の技術が現れていた。アイドルから政治家から市井の人まで、全て写っている。

人物だけでなくランドスケープもある。プールを大判で絞り込んで撮っている写真。アンドレアス・グルスキー的な手法だ。グルスキー以前から、グルスキーしている篠山さんはすごい。

本人が語るインタビュー映像も良かった。「撮ってる姿勢が晴れた日」だと言う。人類学的ハレとケ区別で言うなら、篠山さんにとって写真は日常に属するケではなく、祝祭や儀礼に属するハレに当たるということなのだろう。「写真を撮り行く日はいつも晴れている。撮ってやるぞという気力。それが晴れた日の気持ち」

素直に羨ましく思ってしまった。そのような気持ちで毎回写真を撮ることができたなら、どれほど素晴らしいだろう。写真を初めた時は誰しもそのような気持ちを持つものだが、慣れてきたりプロになって仕事としてしまうと忘れてしまう。60年間そのような気持ちで撮り続けられていることが、篠山さんを篠山紀信づけているのかもしれない。

ヌード。東京の夜の公園なんかで撮っている。集合写真的な構成で。当時は撮影に関する社会的ゆるさはあったものの、フィルムだったので技術的には難易度が高いはずだ。当てていることを悟られないくらいのライティングもバランスが良くて美しい。

篠山さんはお寺の住職の次男坊として生まれた。次男坊のため寺を継げず、社会人も嫌で第一志望の大学にも落ちた。それで「好きなことでもやったらいいんじゃないかな」と吹っ切れたらしい。その後新聞広告で見つけた写真の学校に入学して写真を学び始める。

「当時は写真雑誌が10誌以上あって業界そのものが賑やかだった」という。カメラメーカーも賑やか。そこに写真家としての活動がうまく重なった。土門拳や木村伊兵衛が先輩として現役で撮っていて、会社ではなかったものの「写真業界に就職したようなもの」と表現している。さらに大学の同級生に沢渡朔がいて、夜間で通った専門学校の同級生には操上和美がいた。

私たちの世代からすると二周り上の先輩にあたり、まさに写真界のスター世代。今回の展示は日本の歴史を振り返ると共に、写真業界の歴史をも俯瞰するような良い機会となった。今は80年代と比べて業界そのものが賑やかではない。しかし当時と比べて今を悲観するわけでもなく、スターたちは今も撮り続けているわけで、そこに私たち世代の写真家がどのように立ち振る舞うか、どのように撮っていくかのヒントがあるような気がする。

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