昨日は渋谷LIQUIDROOMにて、UAとKOHHのライブへ。
平日にもかかわらず、リキッドルームは満員でした。
異色のツーマンを楽しみにしていたのですが、二人が混ざり合うことはなく、単独のライブを二本公演した状態となりました。
僕が小学校2年くらいのころ、従兄弟の兄さんが捨てるようにくれたのがUAのCDでした。
僕はそれをわけも分からず、数年聴いていたと思います。
その頃は、小柳ゆきやcoccoにsalyu、いわゆる歌唱系が多く賑わっていた時代で、UAも揺るぎなくその中のひとりでした。
あれから20年程がたち、まさか本人の生歌を聞けるとは思ってもいなかったです。
そしてKOHH。
昨年、宇多田ヒカルのアルバム「Fantome」で一曲コラボレートしていたので、知名度も上がり、更に人気が高まっているようです。
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僕は今まで(ひと括りにしてしまうと失礼なのですが)ジャパニーズヒップホップとは無縁の世界にいました。
しかし、友人に進められるがままに聴いてみると、これは僕が思っていたジャパニーズヒップホップとはどうも何か違う。いや、そういう枠を越えた音楽だということに気付いたのです。
人生の比較的早い段階から音楽に触れてきて、そして自ら演奏もするようになって、良かったことのひとつは、音楽に対するリテラシーを得たことだと思います。
専門教育こそ受けてはいないのですが、多ジャンルを渡り歩いてきて今では大体なんでも聞けるようになり、目の前の絵画を観るように、そこに展開される音楽をわりと自由に楽しむことができます。
それでも日本語のヒップホップはどこか敬遠しているところがありました。
しかしKOHHさんの曲に出てくる、”仲間”や”地元”というキーワードは、そのマイルドヤンキー感をブーストさせつつも、ある一点を越えて、”今”を生きる普遍的な関東という環境に存在する人間にどうしようもなく突き刺さる。
これはあえて意図的に、KOHHさんがそのような言葉を音楽に乗せているのだと、昨日のライブを観て思いました。
音楽があって言葉があるのではなく、言葉があって音楽がある感じ。
やりたいけど、やらなくていい。嘘はつきたくないけど、ついてもいい。貧乏は気にしないけど、金持ちになりたい。
そんな背反する両極的な思考には、ある種の哲学性すら感じる。
そしてどこまでも真摯なところが余計にいい。
ありがとう。

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