なんとも陳腐なタイトルですが、前回の続きという感じで参ります。
先日は良いポートレートの条件について考えてみました。
クラシックな写真の体裁を持ちながら、「家族写真的」なポートレートが良いという仮定に基づき、レンズを選んでみます。
”機材のスペック主義”にも触れたように、本音を言うとレンズよりも画角の方が重要であると考えています。
ポートレート写真の有り様を決定するのは、人物・文脈・環境・光であり、そのフレームとしての画角が重要な部分を占めているのです。
長玉や、80ミリ(35換算)あたりがポートレートに適した画角であると一般的に言われています。
しかしこれはなんとも80s的で、今や時代遅れに感じてしまいます。(世代が一周して、再び望遠、背景ボケのポートレートがスターダムに躍り出る可能性は十分にあるけれど)
そこで古典的引用を入れるなら、前回紹介した写真家たちの50mm、35mmになります。
画角については、使用してみて肌感で身につけるしかありません。
僕自身も様々な画角のレンズを使用してきましたが、同時に様々な写真家たちに会い、話を聞いて考えてきました。
印象に残っているのはリスペクトする写真家の一人である Naoki Fukudaさんとの会話です。
当時世界中を旅していた彼が話していたのは、
「35ミリだと他人を撮るには近すぎる。寄って女の子撮るには良いけれど、海外のストリートでポートレート撮るには近い。だから必然と50ミリになる」
この言葉はそれ以降、僕の中に残り続けていて、自ら実践でポートレートを撮っていく過程で、徐々に身にしみて理解できてきたところがあります。
35だと近い、故にintimate(親密)な写真となる。(前回の話しで言うならユルゲン・テラー)
50だと距離感は程良い、ただし陳腐になりうるので、その他の要素(人物・文脈・光)が強調される。
広くなればなるほど、環境を取り込んだポートレートになり、狭くなればなるほど、人間そのものに主点を置いた写真になる、ただし寄りすぎると人間を越え物質性が浮上する。(肌、ビューティー写真)
そんなイメージです。
グザヴィエ・ドランの「たかが世界の終わり」という映画は、50ミリ超の画角を多様し、正に人間の心情に重きをおいたフレーミングになっている良い例だと思います。
前置き長くなりましたが、35ミリと50ミリで激選を二本。
単焦点レンズの世界はとても広くて、マニュアルのものや、レンズ専門メーカーのもの様々出ています。また一眼レフ前提というのもポートレートの可能性を狭めることになりますが、ユーザーが多いことと、入り口としての価格とクオリティのバランスを重視してみました。画角を肌感で掴んでから、レンジファインダーや中判、大判カメラという選択肢もありではないでしょうか。
SIGMA Art 50mm F1.4
シグマより好評のARTシリーズ。完全国内生産で、クオリティも純正に引けをとらない。重いので、筋トレになる。マッチョにポートレートできるレンズ。

屋外での全身は程よい距離感。canon 6D jpg 撮って出し

男性の役者も艷やかに。開放値が浅いので、暗い条件でも使用できる。
Canon EF35mm F1.4L II USM
昨年アップデートされたキャノン35mmの二型。前回紹介したユルゲン・テラー、国内では新田桂一さんなど御用達のレンズ。
一般の35mmは周辺に顔がくると伸びたりする歪曲が、こちらは最小限に押さえられておりキレキレである。ライカと異なり、28センチまで寄れることも魅力的だ。

レンタル使用で現在手元に無いため他の35mmの写真を掲載。

女子には寄ってオンフラッシュで。画角が広いので、近くのメンズも写り込んでくる可能性がある。
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