ベテランの夫婦と人生相談

蕎麦屋で鴨南蛮を注文して待っていると隣の席にベテラン夫婦らしき方々が座った。二人ほぼ同時に席に着いて、次の瞬間に夫の方がすぐ席を立って「俺なんでもいい、頼んどいて」と妻に言い、お手洗いかどこかに去っていった。その後店員が注文をとりに来て、妻の方が「天ざる二つ」と言った。蕎麦屋に行くという時点で蕎麦という双方の合意がとれていて、そういう時はカレー南蛮でもなく、鴨南蛮でもなく、わかめ蕎麦でもなく、天ざるなのだと思った。そこに同じものを食してしまうという婚姻関係というか同化作用を見た気がした。自己の選択を他者に委ねるという信頼なのか諦めなのかはわからないが、とにかく二人は長年一緒にいるベテランの夫婦であるということだけはわかった。

午前中にオンラインでのミーティング、午後に面談を一本、あとはずっと細々とした仕事をしていた。面談ではいつのまにか人生相談をされる側になってしまったなと思った。年齢は関係ないといつも思いつつ、そこには明らかに生きてきた時間という計測可能な差がある。フォトグラファーとしてこれから活躍してく若き撮影者たちと話していると、彼ら彼女らの人生を勝手にトレースしてしまう。気づけば僕の方が人生相談をする側に回っていたり。精神分析の患者と医者のような関係、話すことには先の夫婦ではないけれど何かしらの同化作用がある。10年前は1000万ほどの機材を使わないと撮影できなかったような映像が、今は100万かそれ以下で得られる時代になってしまった。10年という時間軸が違えば当時の方法論は今全く通用しないように思える。だけど過去の状況と現在の差を埋めていく作業の中で、何か少しでも彼らに有効な物語を提示できたらといつも願いながら。

今朝の山手通りは風が強くて寒かった。頬を刺す朝の山手通り、という椎名林檎の歌があったがそんなに優しいものじゃなく1月の冷酷な風が頬だけでなく全身を冷たくした。でももしかして椎名の歌で唄われている”刺す”というのは、光のことではないだろうか。勝手に風だと認識していて、歌詞を読み返してみたけど分からなかった。風が強すぎたせいか、自転車がありえないところに停まっていたので写真を撮った。