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Essay Photography

ライティングで会話するフォトグラファーたち

 

スタジオで他のフォトグラファーと出くわすことがある。同じスペースにそれぞれのセットを組んで、同時取材のパターンや、仕切られた空間で別々の仕事を同時間に進行しているパターンなど状況は様々だ。

その時、他のフォトグラファーのライティングを見れるのはとても勉強になる。おお、ここオパで行くんだ、とかその位置に銀傘!なんて発見が毎回あったりする。そしてそれを次回の自分の撮影で試してみたり。

よく遭遇する知り合いのフォトグラファーであれば、その人の「好きな光」が頭に入っているから、ライティングを見て、ああ、これこれと納得するということが起こる。これはなんというか、言語に近いようなところが合って、日本語のニュアンスを英語でうまく表現できた時の喜びと似たようなものである。

逆に、そのような知り合いのフォトグラファーがいつもと違うライティングをしていた時、「あれっ、好きな人でもできた?」なんて会話が発生する。半分は冗談のようなものだが、ライトを変えるというのは、気分を変えると同意なので、案外当たっていたりする。自分が知らない光を見たいという欲望は、いつでもフォトグラファーの中にあるようだ。

そこから派生して、フォトグラファーには、光を作って対象を撮影するタイプと、その対象に合わせて光を作るタイプがあるように思う。

意外だったのは、広告写真家の上田義彦さんは前者、光を作って対象を撮影するタイプだったということだ。お仕事写真であればほとんどの撮影において、後者のタイプが求められる。物や人を良く見せる為に、光を作ることがフォトグラファーの仕事の範疇であるから、当たり前といえば当たり前だ。しかし上田さんは、光がまずそこにあって、その後でどう対象が存在し得るかを考えている写真家だと思う。ある意味、光はどうでもよくないが、どうでも良い。

同じような光のトーンで作られる写真は、20年も続ければ、その写真家のトーンとなる。創られたものと、自然に存在するもののバランス、全てがドキュメンタリーであるという意識。

同じ光で撮り続けるのは、飽きるし、結構勇気がいることだと思う。そして見ている側もつまらないというムードに成り下がる危険性を常に孕んでいる。