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Essay

獲れたての烏賊のように

 プレゼントとして、ドリッパーとサーバーを頂いた。ハリオの一点抽出式を使っているということを以前書いたのだが、それを読んで合わせたのだという。「写そこ」に読者がいたのには驚きだった。現在使っているものは、サーバーの取っ手部分が割れたままだったので、飛び上がるように嬉しかった。
 ミニマリストな性分、今欲しいものは何もない。それ故、ここ数年は現状使っている道具をアップデートするのみで生活している。写真に関してもそうで、機材は気に入ればそればかり使うし、ミニマル過ぎて、現場でカメラマンだと認識されないということさえある。おそらくどこへ行っても撮影チームの中で一番身軽だと思う、それはモデルやクライアントに失礼なくらいに。(外車にでかいケース3つ積んで、ライト類、アシスタントという90年代のカメラマン像こそ、現代においてはほぼ皆無だが)
 いささか話が逸れたが、予想外のものをプレゼントされて、モノによって身体や性質が変えられていくというのも、それはそれで楽しい。だが大概は一時的なもので、気づけば身に合わず処分することになる。こうも面倒くさい奴を理解してくれる人がこの世界にいることを、とても幸せに思う。
 それにしても、改めて写真にしてみると、8年間使ったハリオはエモい。アンティークとか、古き良きといった懐古性はそこにはなく、ただただ汚い。たまに漂白剤で色は落としていたが、使用者の怠惰さと相まって、こうなってしまう。それはまるで演奏は下手だけれど、激しく情緒的なハードコア・パンクバンドのようだ。果たして僕はそのように8年間生きてきただろうか?ただ日々を更新するためだけに、コーヒーを淹れてはこなかったか。今必要なのは、ひょっとしたらそういうエモさなのかもしれない。今すぐに重い腰を上げ、エモい音を鳴らさなければならない。その前にこの獲れたての烏賊のように透明なハリオで、コーヒーを淹れてから。

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