昨夜は早く寝すぎたせいか夜中に目覚めてしまい5時くらいかなと思ってiPhoneを見るとまだ2時で、もしかして一周回ったのかと驚いたが本日4日の午前2時だった。ゴールデンタイムというのは実際あるようで、頭も冴えているし色んな考えが巡ってこのまま朝まで起きていようかと思ったけれど寒くて起きる気もせずそのまま横になっていた。全く眠れなくて何時か確認しないまま空白の時間がただ過ぎて少しだけ眠り起きた時には9時をまわるところで太陽はカーテンの外で燦々と輝いていた。
午後から友人と映画を見に行くことにしていたので、それまでにタスクをこなすために軽いヨガと瞑想を15分ショートで入れてから、コーヒーを淹れた。豆が切れる寸前で、通常の半分ほどしか粉が挽けなかったのでカップに半分くらいドリップした。豆が切れそうな時は半端に残すよりも多めに使って最後の一杯を淹れたほうがおいしく飲める。知っていながら何度も同じことを繰り返すのは、この後見たマトリックス・レザレクションズと同じか。
マトリックスの最初の作品が99年だから、もう22年も経っていることに驚く。当時中学か高校生くらいでそのアクションとSFらしさにワクワクした記憶はある。その後に2作の続編があり、たぶん見ているのだけど内容は覚えていない。一作目の印象が強すぎてどれも同じような気がするのだ。熱烈なファンというわけでもないが今劇場でやっている中で見たい映画を考えた時、友人と一致したので見ることにした。実に消去法的選択でキアヌたちには申し訳ないと思う。
世界観は一作目を踏襲しており、変わらない構成や過去作の引用で昔ながらのファンを喜ばせるという意味ではエヴァンゲリオンと同様のギミックである。GAFAMや資本主義に対するアンチテーゼ、没入可能な仮想空間やBCIの実装、AI同士の衝突(あってはほしくないが)などが全体に流れているテーマで、今でも僕らはSNSやアバターなど広くインターネットというメタな世界においてマトリックスに近い世界を生きているのかもしれない。そしてその区別の付きにくさが1999年よりも強固になっているからこそ、同じ世界感が現在も通用するのではないだろうか。
帰りに切らしていたコーヒー豆を買おうと思ったが、なんとなくインスタントの粉コーヒーにしてみた。ここ15年くらいずっと豆を挽いてドリップしてきた。でもそれもなぜだろう?もちろん豆から挽いたドリップコーヒーが美味しいのはわかっている。だがもしこの世界が仮想ならば、現実世界では豆から挽くのとインスタントにはさほど大きな違いは無いのかもしれない。マトリックスの世界観はずっと変わらなくても、せめて僕自身は昨日とは違う世界を生きなければ。