今年の初展覧会は、東京都写真美術館でのマイケル・ケンナでした。
昨日は #東京都写真美術館 にてマイケル・ケンナ。 45年間風景写真に向き合ってきた男の静観なモノクローム写真は、正月と相まって場的な神聖さを獲得していた。アウシュビッツのシリーズと、日本初公開のRAFU(裸婦)もあって見応えあり。
写真中央は、後ろ姿のケンナ本人。#写真展 pic.twitter.com/u4BId8Ck7h
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) January 5, 2019
人を絶対的に排除して、 #ハッセルブラッド 、モノクロフィルムにて長時間露光というケンナの手法は、モダンの中のモダンであり現在のアート写真の文脈から見れば使い倒された“古い”手法である。
しかしモダニズムの持つスタンダートとタイムレス感は45年間続けると記録写真としての価値性質をもつ。
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) January 5, 2019
古典的なモノクロ制作の姿勢はプリントにも現れていた。
展示を見るときは、タイトルの年月とプリントの作家サインにもご注目。ケンナはだいたい多くの写真を、撮影したその年にArtist Proofとして1〜3枚プリントしている。
今回の出品はフランス政府に寄贈したものを除き、殆どがAPエディションだ。
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) January 5, 2019
もうひとつ重要なこと。
ケンナは「45年間を風景とひたすら向き合ってきた写真家」だ。僕のイメージもこの真摯さとストイックさに裏付けられていた。
でも日本でちゃっかりヌードも撮影していた。(昨年パリフォト初公開)
このことで僕は一気にマイケルケンナのことが好きになってしまったんだ。
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) January 5, 2019
もちろん人体が建築的性格を持つことや、女性の肌感に風景の構図やマテリアルを見出すことなど、写真的に言えることはある。
作風の多様性や変遷という写真家的に言えることもある。
しかしここはあえて次元を下げて、風景も好きだけど女も好きだったんだ!と感嘆したい。最大のリスペクトを込めて。
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) January 5, 2019
小説を読んでいる時にふと立ち現れてくる“作家の意識や本音”それらを感じた瞬間に、僕たちはその物語と共に作家に恋をしてしまう。
写真でもそれは起こりうる。
写真が物資であり非人間的なものであるが故に、作品を通じて撮影者の人間性に触れる時、魂は交流する。
そんな瞬間がたまらなく好きだ。
— 田中 常丸 (@tokimarutanaka) January 5, 2019
さらに、1月9日から2月9日まで、青山のギャラリー・アートアンリミテッドでもコンパクトな展示が開催予定です。
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