こんにちは、ときまるです。
コロナの影響で、街に人が少ないです。そして学生が多いような気がします。
多くの企業で在宅ワークやテレワークが実施され、イベントやライブにも中止要請が出されています。
薬局からはマスクが消え、次いでトイレットペーパーが消えました。まるでオイルショックのようで昭和かよ、と思いましたが、いいえ、令和でした。
僕の予想では、次はコンドームが消えると思います。なぜならみんなが家に引きこもっているわけですからね。
ミーティングや打ち合わせもオンライン上で行われることが多くなり、PCのディスプレイに向かって話す機会が増えました。先日は仕事でとある発表をする機会があり、大きなホールで誰もいない客席に向かって語りかけました。とても虚しかったです。
ディスプレイや誰もいない客席に向かって話かけるのは、暖簾に腕押し、あるいは豆腐に踵落としでしょうか。前に発したエネルギーが、どこにも行き場が無いのです。
それはまるで窓に向かって話すように。
突然写真の話になりますが、ジョン・シャーカフスキーというMoMAのキュレーターが1978年に「Mirrors and Windows(鏡と窓)」という展覧会を開催しました。
写真に詳しい人であれば知っていると思います。この展示を機に、写真が現代美術の領域に一歩踏み出すことになりました。写真史的にもタームポイントとなる展覧会でした。
展覧会カタログ↓
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内容はその名の通り、当時の写真家を「鏡と窓」に分類して展示するというものでした。
自分の内面を知るために使われる写真は”鏡”
外で起きていることを知るための写真は”窓”
という分け方です。
分けるのは良くないとか、作家の意図に反して分けられたとか、当時は様々な批判があったようです。
しかしジョンシャーカフスキーはとりあえず、アンセル・アダムスやナン・ゴールディンやその他の作家をとりあえず分けたのです。
当時は理解されなかった分類だったのかもしれませんが、今ではわかりやすい分け方だと思います。
確かに写真家には、自分の中に中に入っていくタイプの人と、ひたすら外への興味で写真を撮る人がいますから。
PCのディスプレイは鏡と窓、両方の役割を果たすのかもしれません。
つまり、テレカンやオンラインで誰かとコミュニケーションをとっている時はそれは窓となり、今このようにブログなどを書いている時は鏡となるのかもしれません。(読者に向けて書いているという意味では、窓なのかもしれませんが)
なるほど、WindowsというOSは、そういうことだったのかと、今書いていて腑に落ちたところで、窓の写真をいくつか掲載して今回は終わりにしようと思います。
いつものようにライトルームのAI(アドビ先生)に過去の写真数万枚の中から windowというキーワードで選んでもらったのですが、僕はどうやらいたるところで窓を撮っていたようです。自分でも忘れていました。不思議なものです。








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