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Essay

鍋割山で

11月の終わりに、鍋割山へ。久々にデュオでの山行となった。

nabeyaki udon

山頂の山小屋で鍋焼きうどんを食べた。

毎日何十キロの材料を、店主が下から人力で荷揚げしているらしい。

山で食べる食事は、なんだって美味い。

それがたとえ地上では食えたものではない、ジャンクでチープなものだとしても、山ではエネルギーを”摂っている”という雰囲気で旨く感じる。

いや単に、地上での現代生活の食事が贅沢で華美に過ぎるのかもしれない。

ジャンクが美味いのだから、人の手で作られたうどんはどれほど貴重で美味だろうか。

自然と、店主の努力に感謝である。

ちなみに、行動中はこんなものを食べている↑

あとはチョコレートも好きだ。

不便な場所での食事を考えることは、自分が人間という動物であることを再認識させる。

私たちが属している環境。

人類は決して地球のホストではなく、あまり歓待されないちっぽけなゲストであること。

食から、衣、住まで想像は派生する。

そしてまた、冒険の予感。

1 reply on “鍋割山で”

[…] 最近は週に1回ほどのペースで、山に入っています。山に入ると、電波の状態が悪いところが多いため、自動的に連絡やネットへの接続ができなくなります。私達は現在、一日平均150回(スマホで仕事をしている人は更に多いでしょう)スマートフォンのディスプレイを見ているという研究報告があります。山に入ると外部との連絡ができなくなるため、簡単なデジタルデトックスになります。ネットが容易につながる今だからこそ、意識的な切断が必要です。 […]