動いているよう動いてない

移動し続けていると逆に自分が止まっているような気になる。移動が日常となり習慣的になるからか、それとも動くことによって自分という動かない主体を発見するからか。動いているのは視覚の内の風景だけというわけである。遊牧民たちは動いているようで動いていないということの意味を、感覚的に体感し理解した気持ちになっている。文字通り動いていると文章を書いたり、写真を撮ったりするのは難しい。写真を撮る時はどんな時でも立ち止まって、きちんと構えた方がピントや構図や深度などあらゆることに精度が出る。精度が出ている写真の方が良い写真であるとは言えないところに写真の面白さはあるのだろうけれど。車での移動は、車中から撮るならば、常に撮影点が動いている状態となる。車や電車ほどの速さであれば、ブレや固定というものが速度により遊動的になり臨界を超えて無意味になる。そこで浮き彫りになるのはフレーミングだ。そういえば荒木さんの作品にもタクシーの中から撮っているクルマドというシリーズがあった。あの作品はタクシーの窓枠を入れて二重にフレーミングすることで、自分の不動さを逆説的に提示している。窓枠を入れるには50mmレンズでは狭いので35mmでなければならない。ホテルをチェックアウトしてお昼、大友パンでクリームボックスを購め、栃木方面へ向かった。