
スナップ写真は日々撮影するので、年次ごとのフォルダで管理している。それが旅だったり、個人的なアサインメントの仕事だったりすると、それ用のフォルダと階層を作り、スナップの中から部分的に選択して放り込んでいる。

つまり僕にとって写真はそれが仕事か遊びかはさておいて、まず全てがスナップであるという前提がある。スタジオでキャプチャーワンのテザリングにおいて行う撮影仕事だけは例外で、最初からキャプチャーワンのフォルダの元、仕事写真として遂行される。(その写真群はスナップフォルダに入ることは無い)

スナップ写真が前提で、そこからプロジェクトとして切り出される。なぜこういうことになってしまったかと言えば、カメラを一台にしてしまったせいだ。一台しかカメラを持っていないが故、自ずと仕事用カメラ、日常用カメラなんて区別が一切なくなってしまった。一台で全てやるということ。それでできない案件はその都度適したカメラをレンタルしている。このようなやり方で仕事をしているフォトグラファーはとても少ない。出会ったことも聞いたこともないので、おそらく僕だけではないかと思っている。ただのバカだと言われれば、僕には返す言葉がない。

そのような写真整理のやり方をやっている中で、時に境界を見失うことがある。

全てを2020というフォルダにとりあえず突っ込むわけだが、そこから今回の伊豆半島の旅を抜き出そうと試みる。

だけど、一体、どこからが旅の始まりで、どこからが旅の終わりなのだろうか?

撮影された場所を基準にするのなら、ここは渋谷だ、ここは品川だ、よしここで伊豆半島に入っているな。だからここからの写真を今回のプロジェクトとしよう。というやり方ができるかもしれない。

だけれど、写真を見てみると僕にはその境界がわからない。

家を出た瞬間から撮っていたりするので、その写真も「沼津フォルダ」に入れようかとも思う。しかしそれは、どこからどう見ても、いつもの近所のただの渋谷なのだ。

こうなってくると、日常全てが旅だと言えるかもしれない。よくどこかで聞くセリフだ。写真整理において言えば、全てを旅とするのは少々暴力的にすぎるのではないだろうか。というかこの考え方で行くと、写真整理・フォルダ整理が全くできなくなってしまう。撮るだけで編集者に丸投げして、あとはよろしくできる巨匠ならまだしも。

それでこういう結論に至った。

日常と旅の境界を定めることが、撮影者の仕事なのだと。

始まった仕事は終わらせなければならないように、始まった旅もどこかで終わらせなければならない。

スナップフォルダから部分的に切り出され、写真の連続性が断たれた時はじめて、それは日常から旅になるのだと思った。

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