写真日記のエピローグと礼

人は他人の生活に興味はない。そのような中でこの日記の存在価値を考えると、よくこの一年間休まず書き続けてきたし、読んでくれる方がいたと思う。きっかけは単純だった。2021年の終わりに武田百合子の「富士日記」をたまたまキンドルで手に取って、日記でも書いてみようと思った。それで一台のミラーレスカメラと50mmのレンズだけを持って毎日何かの写真を撮って、写真とはおよそ関係のないことをつらつらと書いた。二月頃に西村賢太のこれまた日記を読んでしまって、他人の日記を読む魅力に取り憑かれていった。色々と書きたいことはあるけれど、とにかくこの一年間この日記を読んでくれた皆さんに感謝します。続けられたのは読んでくれる方がいるからでした。自分でも読み返すことはなく、読み返してみてもまるで自分が書いたようには思えないものもたくさんある。そして日記を書くのはこんなにも難しいものだったかと改めて認識した。子供の頃に書いていた日記はもっと自由で楽しかったはずなのに、書けることがさほどないこと、何かの後ろ盾や見えない壁が増えたことに気づいた。それは自分が大人になったということでもあるけれど、純粋に楽しむことを忘れて、ノルマや数字に追われて日々を生きるようになったからではないか。同時に、写真を撮る困難さにも直面した。正直に言えばこれは写真日記で撮らなくても、常に困難で楽しいことではあるのだけど、文章にも似た撮れない事や撮れない人、そして撮れない場面に囲まれていることに気づいた。写真を始めた頃はもっと自由に、撮っていなかったか。なぜそれが今できなくなっているのか。そのようなことを考えずにはいられなくなって、苦しくなり、でも考えるのをやめてまた撮っていると楽しくなったり。日記を書いて毎日撮るということは、20代のアシスタントの時代にやっておけばよかったとも思った。ある先生が「日々ブログを書くのは素振りみたいなもの」と言っていた意味を理解したし、確実に書くことと撮ることのトレーニングにはなったと思う。でも20代の頃は、撮りたいものややりたいことがあり過ぎて、自分にルーティンを課すなんてできなかった。そもそもルーティンとは生活の中で仕事の中で、自ずと発生するものではないか。マンネリ化したものをルーティンというマンネリによって破壊するために、この写真日記は用いられたのだとも思う。毎月右肩上がりに増えていくPV数を見ながら、果たして少しは誰かのためになったのだろうかと考えた。書いて、全て消すことも考えたけれど、一応このサイトにはアーカイブとして残しておこうと思う。

そして今年はまた別のことをやっていきたい。まず、書く場所の中心をnoteTwitterに移します。そこでは日記のような体裁にはならないかもしれないけれど、引き続き読んでくれる方はチェックしてくれると嬉しいです。noteではサークルでの活動もしているので、一部はサークル向けになると思うけど、基本的にはオープンに書いていくつもりです。Twitterは日々の思考のメモのようなもの。馬鹿なことや極端なことを言ってて、後でああ全然違うなと思うこともしばしばで、発信というよりは思考の場所、思考のプロセスそのものとして使っています。フェイスブックを辞めたのは先日の日記の通り。フェイスブックが無い分、Twitterがややハブ的な使い方になりそう。

コロナ禍も抜けるというか、共存するフェーズに入ったので、今年はもっと身軽に移動したいと思っている。その過程で、見たものや考えたこと、プロセスや方法論をシェアしていきたい。しばらく会っていない人もいるので、人に会いたい。話をしたい。目標と言うと、数字や大項目や抽象表現が先にくる。それに沿って、自分のやりたいことを合わせると後々ズレが生じてくる。だから計画と呼ぼう。計画は旅行の計画のようなもので、何月何日に〇〇へ行くとフライトのチケットを抑えてしまえば、あとはワクワクしかない。今年は自分がワクワクする事、好きな事しかしない。

散漫に色々と書いてきたけれど、そろそろ終わりにします。今年は千葉で年越しをして、何年ぶりかわからないくらいの初日の出を見に行きました。朝6時過ぎ、極寒の中震える手でカメラを持って、低い雲の頭からその最初の太陽が顔を出した時、何かが始まる気がした。いつも見るのは夕日ばかりだったので、こんなにもクリアで辛辣で美しい光があるのだと涙が出そうになった。今、2022年の元旦の日記を見直してみた。「本当は初日の出、みたいな写真が撮れるとよかったんだけど。」とぼやいていた。今年は初日の出が撮れているという、誰に話しても何の優位性もない小さな収穫がある。一年間ありがとうございました。そして本年もどうぞよろしくお願いいたします。