言葉を逃した詩人のように

言葉を逃した詩人のように、僕らはあらゆるものを逃し続けている。

人と出会う機会も、次の旅行も、明日のライヴも、シャッターチャンスさえも、まるで逃すよう台本に書かれているように、それを楽しんでいる風でもある。

しかし逃すことは決して楽しくは無い。それは手放すこととは違う。捕まえようとしているのに、指の隙間から、あるいは断片的な思考のプールから、地中の奥深くか、宇宙の遥か彼方まで遠く離れて行ってしまう。

一度逃したものが戻ってくることはない。

喪失の物語を書き続けている村上春樹が一周回って染みてくるのは、読んだ当時持っていたはずのものをある時点で失っていることに気づき、物語は逆説的に残り続けているそのような違和感からだろう。

ポートレートも一瞬のうちの表情を撮影者が捉えたつもりになっているだけで、それはチャンスを逃し続けた狭間に存在するスリットの中での消去法的な出会いである。

失うという諦観の中に、輝きを見つけることはできそうも無いけれどそんなに暗くもない。

不思議な気持ちだ。