こんにちは、常丸です。
幾つかのニュースメディアでも取り上げられていた気になった記事から。
大きく言って、今は写真が再び死にかけている時期だと思います。
一度は1970年代に、森山大道さんの「写真よさようなら」で、写真は死んでいる。
写真は解体されて、コピーの反復や物質としての執着・乖離を繰り返しながら、それは写真では無くなってしまう。(この時も情報とは言えるのかもしれない)
そして二度目は、今。動画(モーション)の始まりによって。
思えば動画はもうしばらく存在する。それは具体的には、カメラにムービー機能が搭載されたあたりから。
しかし、周辺の視聴側のプラットフォームの形成に時間を要した。
それが今ようやく整いつつあると共に、制作側のプラットフォームも充実しつつある。
このまま写真は死んでいくのだろうか。
まるでビデオカセットが、DVDに取って代わったように、DVDがストリームやオンデマンドに取って代わったように。
上の加藤 綾さんの記事から、
Twitterにせよ、Instagramにせよティーンにとってはユーザーの高年齢化も離れていく理由の一つだと考えます。
「うるさい大人がリプしてくる」「おばさんたちの自撮りとか見たくない」など、だんだん自分たちの居場所ではないと気がつき始めているんですよね。その結果、リアルな友達がフォローしてた時点で鍵アカウントにするティーンが急増しているのは、そうした「おじさん、おばさん」に見られたくない、内輪だけで楽しみたい、という子が急増しています。
最近、僕の友人がインスタグラムを始めた。
僕は思わず「もう終わりかけなのに、今かよ」
と正直な気持ちで突っ込んでしまった。
ティーン発信で独自のウェブ上の文化圏が形成されつつある。
僕らも10代の頃は、25歳を越えた「おじさん、おばさん」からわーわー言われるのは好まなかったはずだ。
ひとつのSNSのプラットフォームが形成され繁栄すると、ティーンたちは新しい場所を求めて離れていくというのは考えれば当たり前のことなのだ。
Facebookやtwitterがそうであるように、instagramも既に、父・母・おじさん・おばさんの場所になった。
嘆く必要は無く、愉しめればいいと思っている。マーケターや個人のブランディングで利用している人は、その方向性を少しだけ調整する必要があるけれど。
上記、作り手と受け手のプラットフォームの熟成感。
それによりファッションブランドにとっても、動画は必須の流れになりつつある。
つまりそのまま、今ファッションに利用されている「写真」の役割が、「動画」に、それも1:1ではなくそれ以上の割合で推移していくことは、これから間違いないだろう。
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