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縦位置でフレーミングすること、あるいはデジタルサイネージについて

こんにちは、ときまるです。

縦位置で写真を撮ることは、案外難しい。なぜなら、カメラは横位置で撮るようにデザインされているから。

そんなツイートをしました。

ほとんどのカメラが、構えた時に、右側にシャッターボタンがあり、左手でボディとレンズを支える構造になっている。

左利き用のエレクトリックギターというものは、ジミヘンを筆頭にごく普遍的にこの世に存在するが、左利き用のカメラというものは存在しない。(特注生産で一部作られたりはしているのだろうけれど、僕はまだ見たことがない。)

縦位置にカメラを構えるということは、不自然さを享受するということであり、身体能力を使うことだ。

object-2020

「作品を撮るのは簡単だよ。全部縦でとればそれは作品だ」

とは誰の言葉だったか。

あながち間違いではないように思える。

人物を撮りたい人であれば、自然と縦位置のフレーミングを覚えるだろう。人は縦に長いから、あるとき縦で撮ったほうが収まりが良いことに気づく。

しかし風景しか撮らない人は、縦にする理由が何一つない。だから縦にカメラを構えるとなんとなく落ち着かないということが起こる。

作品の話に戻るけれど、縦位置はコンテンポラリーの作家に多用されているため、ただ縦にするだけで写真がコンポラ感を帯びてくる。縦にした瞬間に、作品化しようとする撮影者の意図が見えてしまう。作為的写真。

だけどそのような写真はコンポラ感を”帯びている”だけで、コンテンポラリーの領域に入れる写真は少ないように思う。僕はと言えば、ヴォルフガング・ティルマンスなんかが大好きで、彼の写真をみて育ってきたものだから、縦位置にするとなんとなくいつも彼のイメージが脳裏をかすめたりする。

あとは歴代のファッション写真。面白いことに、ファッション写真は本来たて位置で撮影されるべき体裁であるが故、それが横位置になると逆に凄みを増すということが起こる。スティーヴンメイゼル、ティム・ウォーカーにグレンルッチフォード、アニー・リーボヴィッツ。大人数で劇場型になるほど、画面構成上、横位置が求められる。

縦がコンポラとファッション写真だとすれば、横位置はドキュメンタリーだと思う。35mm判でのアラーキーや、ストリート系のゲイリーウィノグランドやジョエル・マイロウィッツは横位置が多い。ナン・ゴールディンやアントワンダガタも横の印象が強い。

ジャンルに限らず、縦のフレーミングが上手い人は、ただ上手い。きっと縦で撮らせても上手い人が、写真の上手い人なのだろう。

幸いなことに、iPhoneのおかげで私たちは縦位置でフレーミングする機会に恵まれている。カメラの機構により横位置を強いられるのと同じで、スマホのデザインにより私たちは縦位置写真を強いられてるのだ。デザインによるフレーミングの有限化。

今、街中のデジタルサイネージが随分増えてきた。

それらは多くが縦型なのだ。(駅の構内にある)

ムービーのキャメラマンは、縦位置のフレーミングが苦手だ。彼らは35判の2×3よりワイド、16:9(今では更に横長のフォーマットも)に慣れているためだ。写真は元々、映画用のフィルムの”余り”で撮られていた。

そういう意味では、あの街中でのサイネージ広告の仕事は、フォトグラファーあがりのビデオグラファーが担当した方が、場合により効果的なのかもしれない。フォトグラファーは縦位置も難なくフレーミングできるだろうから。商業写真家にとっては、ひとつの受注チャネルになり得る。

そのように考えると、映像は有限性のメディアだなと思う。禁欲のメディアと言ってもいい。

フィルムやセンサーに縛られて、カメラやレンズという機構に縛られる、プロダクション過程では暗室やソフトウェア、PCに制限され、そして最終のアウトプットの形態では、雑誌、紙、ビニール、鉄、プラ、液晶に、縛られているのだから。

ここまで縛られていて、時代により完パケ形態がありとあらゆるものに変化するのなら、逆説的にそれは自由のメディアなのかもしれない、とも思う。

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