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東京は雨。こう言うと人に怪訝な顔をされるが、雨の日は好きだ。特に晴天と晴天の日の合間にあって、降るか降らないか、いやちょっと降っているじゃんという思わせぶりの雨が。雨の日は、僕の場合瞑想の調子もいい。部屋に満たされる朝の光の質のせいだろう。それは確かな湿度と少しの憂鬱さを含んでいる。遠い過去の記憶をその光によって運んでくれる。湿った廊下、教室の窓越しに眺める校庭、薄暗い部屋の蛍光灯、古いノート、重いリフで構成された音楽、デミオで走る青梅街道、傘をさして踏み切りを渡る人々。全て雨の日だった。そしてそれは特に良い日ではなかったかもしれないが、特別に悪い日でもなかった。危機的な状況が連続する晴れた日常と比べるなら、とても良い時間だったのではないか。雨の日は写真的でもある。二つの意味で写真的だ。まずその拡散された光によって、全ての物の色かたちが良く見える。それはコントラストのついた晴れの日よりもベッヒャーシューレ的に、タイポロジカルに写真が映ることを意味する。もう一つは、普段持たない傘を持って出る、水たまりを避ける人の姿、こける、滑る、濡れる。決定的瞬間のチャンスに溢れている。それは水の無い晴れた日よりも、ブレッソン的にモダニズムの写真を追求できることを意味する。これは四季のある日本特有の非日常感だとも思う。雪国や雨季国ではまた勝手は変わってくるだろう。東京は雨。どうやら今日は調子がいい。

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