三軒茶屋のデニーズから、インドネシア、マクロン、レッドガーランド。

 気づけばそこは三軒茶屋のデニーズだった。夜中の2時近かったと思う。仲間たちは1軒目の茶屋から一人二人と減っていき、僕はマツダというある組織のある部分では先輩よりも遥かに優秀と思われる後輩と二人、デニーズに取り残されていた。何が三軒茶屋だと思う。1軒目の茶屋からままならない。何よりその名前が茶魔めかしい。吉祥寺と同じくらい、東京に出てきた田舎者が初めて住む場所に選びそうな名前だ。それでいて”都立家政”よりも控えめなカジュアルさを併せ持っている。
 僕は今どこだっていい。20代前半にバックパックしていたことは少なからず何かの役に立っていると思う。80sベイビーにありがちな、後追いで沢木耕太郎を読んで、小林紀晴のアジアンジャパニーズなんかを挟みながら、死にもしないのにシリアスぶって大きめのザックを背負ってアジアを歩いた。オンザロードなんかも詰めていただろう。(その後写真を始めて、小林紀晴さんとは会えて一緒に飲むことができた。恥ずかしさからか、旅の話はしなかったと思う)香港、台湾、ベトナム、インドネシア、シンガポール、パリ。言ってさほど歩いていない。一つの場所に長く滞在するタイプだった。その感覚は今になってもふっとした時に現れて、結果僕をどこかへ運ぶ。どこだっていいのだ。
 どこまでも自由だと思う。でも真の自由さは孤独の中にこそある。まるで本に書いたように陳腐に響くけれど、実感として今それはある。30を過ぎた証かもしれない。平日の夕暮れ時にランニングしている時に僕はなぜかその感覚を思い出す。思えば、東京に来て約10年、5回程引っ越しをして転々としているが、どこにいても僕は観光客のような感覚でいる。今の場所には割と長く住んでいるけれど、近くの焼き鳥屋に入って一人でビールを飲んでいる時に、ここはどこだろうと思う。なぜ僕はここにいるのだろうと。アルコールが回ってくると、バリ島のクタビーチを一つ中に入ったメイン通りのサテ屋かなと思う。しかしそこにガムランの音色は無い。孤独で、自由で、知らない誰かの歌に涙することになる。生きている。
 マラソンに出たり、新たなプロジェクトを立ち上げたり、運動会やドライヤーのパッケージ写真を撮ったりしながら、五月は風のように過ぎて言った。ウェブマガジン見たよ、とか、ブログデザイン変えたねとか何人かが言ってくれた。それはマガジンでもブログでもないのだけれど、それぞれの捉え方があって、反応があることが嬉しい。
 さらに6月は新たな試みが、ワークスとなって立ち現れていく。毎日毎日やることがありすぎて、無駄なことをどれだけ削れるかという戦いになっている。戦ってはいけない。嫌なら即刻辞めればいい話だ。無駄口を叩いている暇はない。他人の人生を生きてはいけない。誰もが自分の人生だろう。マクロン大統領がトランプに言ったように、地球には愚か、人生にもプランBは無いのだ。そう言うとトランプの肩を持つことになるのかな。とにかく人生は短い。僕は傷つき、誰かを傷つけている。そんな時こそ、おおらかに、踊るようにいかなければならない。大きく息を吸って、ゆっくり、長く吐いて。
 Red Garlandのご機嫌なピアノが部屋に鳴っている。外では風が、強く吹いている。

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