冷蔵庫無き生活のスケッチ

朝から雪を含んだみぞれみたいな雨が降っていた。いつもより気温が低くて、随分寒い。渋谷の気温は2℃で、窓際に吊るした山用の温度計は9℃を指していた。部屋全体は冷蔵庫みたいに冷たい、と言えば比喩表現に聞こえるが実際うちには冷蔵庫が無いので比喩とは言えない。部屋の一画をなんとなく食糧の場所としていて、フローリングに直接並べている。今はバナナ、納豆、小松菜、卵、玉ねぎ、チョコレート、ミックスナッツ、塩昆布が置いてある。全員が冷蔵庫という過保護な安全地帯から強制的に家出させられたストリート系だ。そこだけ見れば田舎の無人野菜売り場のように見えなくもない。もちろんそれは売物ではなく僕が買ったものだけど。

最近はキムチを好んで食べていて、それはキッチンのガステーブルの下の扉のあるスペースに置いてある。なんとなく発酵食品は光の当たらないところに置いておいた方が、自分が仕込んで発酵させている感が出るし日持ちも良い気がするから。冬の良いところは食品の日持ちが良くなることで、納豆はいつも最高、小松菜なんか夏場は1日でダメになるのに、今は3日経っても元気にしている。冷蔵庫を無くして2年近くが経ちつつあり食品の選別に敏感になった。そして野菜の旬がわかるようになった。ほとんどの食品は常温で大丈夫だということを身をもって知ったし、そもそも人間は何億年もの長い間冷蔵庫無しで暮らしてきたわけだから、冷蔵の必要な食品というのは近代になって生活の利便性のために開発されたものになる。食品を日持ちさせるという点で、冷蔵庫は人間の生活の時間軸を引き伸ばす装置である。冷蔵庫を使わないことで、1日24時間という時間にもっと意識的になれないだろうか。腐るものを正しい時間軸で腐らせること。冷蔵庫に食料を保存することはデータをサーバーやドライブに保存したり、動画を2倍速で視聴したりすることを思わせる。冷蔵庫を使わないことは映像で言うシークエンス、会話で言うコンテクストに重きを置くということなのかもしれない。実験は続く。

機材返却のための荷物発送に出たら雪が強まっていたので、短時間で撤退。コーヒーを淹れてひたすら籠って作業していた。毎年レギュラーで一緒に仕事をしているプロデューサーのSから久々電話がきて、会社が変わったことや最近の仕事についての共有と、次の仕事の打ち合わせをした。撮影はスケジュールが合わずにまた先延ばしになってしまった。その後スタジオ関連のミーティングをオンラインで行う。夜は植本一子さんの本の続きを読んだ。

– https://linktr.ee/tokimarutanaka