スターウォーズより、エンドレス・ポエトリー

こんにちは、常丸です。

昨日はこれを見てきました。

endless poetry
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アレハンドロ・ホドロフスキーによる新作「エンドレス・ポエトリー」です。

世間は「スターウォーズ最後のジェダイ」の中、裏切るようにエンドレスポエトリー。

公開初日に僕の知人友人仕事仲間たちはみんなスターウォーズ見に行ってましたね。

あるカメラマンは撮影前にスターウォーズ。あるスタイリストは撮影終わりにスターウォーズ。

まるで朝飯前に観る事がスターウォーズ界では常識とされているような雰囲気で。

僕はスター・ウォーズに関してはまるっきりの素人で、数作しか見ておらず、アナキンスカイウォーカーが出ていて、ジャバ・ザ・ハットとジャージャー麺みたいなのと一緒に砂漠に行く。くらいの記憶しかありません。

そう言うと「えっ、トキマル、スターウォーズ見てないの?」「常丸さん、スターウォーズ見ていないんですね。僕DVD全巻持ってます」「ときまるくん、見てると思ってた号泣」なんていつも馬鹿にされています。

「えっ、いや、なんか1、2とか沢山あるし、その数字と公開順が一致してなくてややこしくて。どれから見ればよいかわからないし」と言い訳しています。同じような気持ちの人、沢山いると思うんですけどね。それでも勧めるのを辞めない人には

「人生の夏休みがきたら見ますよ」と言っています。来るんですかねそんなの。

また、僕はみんなが見ていたり、話題にしているものに出会うと、それを避けようとします。

完全にひねくれていますね。

根本的に、インディーでマイナーなものが好きな性分です。

映画に関する感覚は、学生時代と、写真修行時代に病んでいた時期にほぼ身につけたと思います。
吉祥寺に住んでいた頃、近くのレンタル屋のジャンル”ドラマ”の棚を左上から、片っ端に借りて見ていた。(本当に選ばずに、左上から順番に全部)新しいのも古いのも100円か200円で借りることができる不思議な店だった。
ほぼ毎日欠かさず借りて、一年で250本程を見た。映画マニアや、映画を生業としている人からみれば大した数では無いが、僕がそれほど集中して継続的に映画を見た年はそれが初めてだったと思う。おそらく、病んでいる時というのは、受動的なものにひたすら打たれ続けるのが良いのかもしれない。映画の力か、気づけば病みは消えていた。

その時の感覚に縛られているのかもしれない。そしてその時期こそが僕の人生の夏休みだったのかもしれない。そこでスターウォーズを見逃してしまったわけだから、今でも見逃し続けているわけであります。

さて、ホドロフスキー監督のこの新作、「エンドレス・ポエトリー」ですが、良かったです。

内容深追いはしませんが、ホドロフスキーにしては随分見やすくなったなという印象。

前作の「リアリティのダンス」の続編的立ち位置です。

クラウドファンディングで資金を集めて制作され、キャメラは僕の大好きな「恋する惑星/ウォンカーウァイ」のクリストファー・ドイル。

ホドロフスキーの映画は基本的にカルト映画(芸術映画)なので、過去作品にはDVD化出来ないものが多かったですが、近年は再販、そしてアップリンク(渋谷にあるサブカルティックなミニシアター)の推し推しにより最近その熱が盛り返しているような気がします。(過去のはカゲキでここには書けない物がよく写っている。死体もうん○もなにもかも)

それらのコードをきちんと保ちながらも、より大衆向けになった気がする。

「生きること」の全肯定。

終わりなき詩が、最初から最後まで魂の洪水のように詠われる。

登場人物全員が生き生きしていて、そのキャラクターは次第に愛おしさをおびる。

ファンタジーでありながら、これ以上にないリアリティを含んでいる。

それは、今、ここに座っているアップリンクの座り心地が決して良いとは言えない椅子にいる自分のリアリティにダイレクトに接続される。

これは映画だ。これが映画だ。

谷川俊太郎が本作に寄せた言葉が、美しく全てを表現しているので、引用して終わりとする。

今も昨日の二時間の幸福と詩がじんわりと続いている。

一瞬もじっとしていない人間の内面世界を、ホドロフスキーは時に残酷に時に滑稽に映像化する。無心な幼児と無心を拒む老人が同居する偽善と無縁の多彩な世界、そこにひそむ真実を私たちは発見する。-谷川俊太郎

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