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Essay

街場の文体論

 

最近読んだ本、内田樹さんの「街場の文体論」

2010年に内田氏が神戸女学院で行った最後の授業「クリエイティブ・ライティング」をまとめたものです。

この本は文章の書き方を単にテクニカルに解説するものではなく、文学論、言語学、さらに哲学から多くを引用しなら、時事的なトピックや社会状況、歴史まで触れ、講義全14回分全てを詰め込んだ内容となっています。

ソシュールのアナグラム研究や、ピエール・ブルデューとロラン・バルトからエクリチュールと文化資本、日本語の成り立ちと村上春樹から「響く言葉」「届く言葉」「身体に触れる言葉」とはどういうものかを考えます。

多くの哲学的示唆に満ちているので、知的好奇心を満足させてくれます。

バルトもフーコーもデリダもラカンも、難しく書いているのではなく、それを難しいと感じるのならばあなたはあらかじめ”読者”として想定されていない。階層社会を論じたブルデューの書物も、その内容そのものが一定の文化資本を持った層に対して書かれている。よって、階級が低い層には届かない。

 

そう言えばこの間、タイミングよく興味深い出来事が起こっていました。落合さんのこちらの新作。

次読もうとしている本です。

Planets代表であり、批評家の宇野常寛さんが責任編集を務めています。こちらの本のレビューに「難しくて理解できないから1点」という評価が付けられたのでした。それを宇野さんが取り上げ軽く炎上気味になっていましたね。

これ、ブルデューの著書「ディスタンクシオン」と同じ現象だと思いました。著者が自分の言いたいことを自分の言葉で書いたものが、伝わらない。日本には実質的な階級は無いけれど、読者として想定されていない一定の層がある。ネット上のレビューにより、そのような今まで見えなかったものが可視化される時代となりました。

最近様々なメディア引っ張りだこの落合さんですが、彼は「あえて専門用語をわかりやすくして発言しないようにしている」そうです。お茶の間向けの番組であっても、専門用語は専門用語のまま、自分の言葉でダイレクトに発する。多くの人は分からないけれど、分かる人には分かる。その訳の分からなさが結果的にカリスマ性を高めているとも思います。

ジャズやワインや写真や外国語も同じで、分からないものはわからないまま受け取ることが大切だと思います。ただ浴びる。でも浴び続けると次第に分かるようになってくるから不思議です。(スピードラーニングは信じないけど)逆にわかりやすく日本語に変換したり、別の言葉で代替すると、必ずネジれが生じます。ネジれたまま受け取っていると、本質(ソウル)に触れることはできません。

読んでみて、「書く」ということは生き延びるためのリテラシーであると改めて感じました。

 

ロラン・バルトと言えば、カメラマンの皆さんにはこちらの方が馴染み深いと思います。

三大写真論として有名な明るい部屋。眠くなる程ロービートにシブく、雨の日にじっくり読みたい、今でも好きな一冊です。



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