向日葵、花を撮ること活けること

向日葵が枯れて、夏が終わったのだと思った。

部屋に花を活けたらなら、活けたままにしておいて、気が向いた時に写真を撮っている。

撮るタイミングは、光がいいなと思った時や、枯れ具合が調子いいなと思った時だ。

生花の変化は思うより早くて、二日に一回は異なる表情を見せる。そんな花の表情をみていると、自分の身体も日々死んでいっているのだなと、少しセンチメンタルな気分にもなる。

活けたばかりのパリッとした、生命力溢れる姿も美しいと思い、枯れてきて萎れた姿もまた良いと思う。

人間も年齢ごとに各々の美しさがあるように、花にもそれがある。

ISO200 50mm f/2.8 1/4000sec LeicaM10
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ISO200 50mm f/2.8 1/500sec LeicaM10
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ISO400 50mm f/2.8 1/500sec LeicaM10
ISO400 50mm f/2.8 1/500sec LeicaM10

花を撮るという行為には、少しの女々しさと、孤独さと、テクニカルさと初学的稚拙さが混在するように思う。

アーヴィング・ペンやメイプルソープなど、多くの偉大な写真家が花を撮ってきた。

誰でもが撮れるモチーフでありながら、どこまでもナルシズムの範疇に回収されるその絵に、ある種の嫌悪感と達成感のようなものがいつも混ざる。

花瓶の水が無くなるまで、そのままにしておいて、最後は黒バックで撮影することが多い。

思えば自分なりに、同じ部屋に生きた時間を火葬・埋葬する代わりとして写真にしているのかもしれない。

部屋に花が無くなって、次の花を迎えるまでの時間は少し悲しい。

その時間の長さがどれくらいになるか、いつも自分ではよくわからないからだと思う。