カレーを煮込むことをやめた男

mountain 2020

料理はもともと好きだったんですけどね。

なんだか最近はそういう気分じゃないんです。

山での調理道具を家でも使っているから、少し不便なところは確かにあります。だけどそれでも十分に料理はできてしまうから、道具のせいでも無いような気がしている。(むしろ調理プロセスや洗い物含めて簡単にできるのでハードルは下がる)

料理をする時間がもったいないというか。

移動しづらくなったフラストレーションがたまっているのかもしれません。

家にいるとだいたいみんな料理しかしていないじゃないですか。

この期間に圧倒的に自炊派が増えたと思うんです。

それに嫌気がさして、なんか料理が嫌いになったのかも。料理は全く悪くないんですけどね。

ただ、もういいよ家飯は、と。

かと言って、外でもそんなに食べたいと思わなくなってしまった。

あるクリエイターも言っていましたが、人と会わないことはあらゆる意欲を削ぐようです。

作っている暇あったら、どこかへ移動していたいというか。

そういう気分です。

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ペパロニカレー

今回は、明け方にみた夢の話を書かせてください。

東京か大阪かわからないけれど、僕はやっとの気持ちでその店に入った。少しレトロな内装で、店内はわりと広々としている。個人客や二人客で、テーブルはほとんど埋まっていた。やはり人気店だ、入れてよかった。

念願の“ペパロニカレー”を食べに来たのだ。

入るなり、奥の方のテーブルに通された。席の隣には大きな冷蔵庫がある。厨房に収まりきれずに、ホールに仕方なく置かれた冷蔵庫だった。その横には大きな鍋があり、ラップがかかっていた。

「ここでいいですか?」と店員に聞いた。

「いいよーごめんねー冷蔵庫の前で」

女性店員が答えた。少し汚れた生成りのエプロンをかけ、茶髪がかった髪をしていた。元ヤンキー風の店員だった。

テーブルにつくなり、その店員は隣の鍋をかき混ぜて、器に持ってテーブルに出した。

「お通しです。7年製なの」

「えっ、7年ですか?大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。もっと置くところもあるけど、うちのは7年」

それが何かわからなかった。麺の入っていない、もやしだけの豚骨ラーメンに見えた。少しそれを食べたが、味はよく覚えていない。豚骨ラーメンの味がした気がした。

そうして20分ほど経っただろうか、ペパロニカレーが来る気配は全く無かった。

そのままなぜか席の移動を別の店員に命じられた。

従うがままに、カウンター席に移動した。

カウンター席では、左隣に既に客がいて、夢中で何かを食べている。それが何かはわからなかった。小さな会釈をして席につき、続けてカレーを待った。

しばらくして、また別の店員のおばさんが「ライス」だけを運んできた。丸いボウルにライスだけが載っていた。大盛りだった。

ライスについて、ライスですか?と尋ねた。

「うん、ライス。追加ね」

「いや、頼んでいませんよ。カレーもまだ来ていませんし」

「付くのよ」

ライスを置いておばさんは去っていった。ライスが付く?どういうことだろう。カレーに?不穏な空気があたりを漂っていた。

しばらくしてようやくカレーが来た。

しかし、カレーを運んできた店員の手に、あらかじめそこにあった「追加のライス」が当たり、盛大にひっくり返った。大盛りのライスが逆さになったため、ライスがクッションとなり幸い音はしなかった。

隣の客の視線がくる。店員はごめんねーすぐ片付けるからと言って、カレーを置いて去っていった。

すぐにでも食べたかったので、ようやく来たペパロニカレーの写真を撮った。iPhoneで、真上から。こぼれたライスが端っこに、少し写ってしまった。

ペパロニカレーは見たところ美味しそうだ。楕円形の大きな皿の左半分に、カレーとライスがあり、右半分にはなぜかピーマンだけが大盛りに盛られていた。ペパロニは見当たらなかった。おそらくカレーの中に溶け込んでいるのだろう。

さらに、ピーマンだけが入った割と大きなガラス瓶も一緒にあった。まるでピクルスか福神漬けのような感じで。それにしても量が多すぎる。

一口食べてみた。

お腹が空いていたこともあってか、味は複雑で美味しかった。

するとすぐに店員が来た。こぼしたライスを片付けようとしているらしい。ひっくり返ったボールをトレイに載せ、布巾でテーブルを拭いた。

次の瞬間、どういうわけか店員は僕のペパロニカレーまでも一緒に運んで行ってしまった。

運ぶ瞬間に何か言われたような気がしたが、聞き取ることができなかった。

カレーが無いまま、しばらく放置されていた。何もすることが無かったので、水を飲んだり紙ナプキンを触ったりした。隣の客が食べ終わり、会計をするために席を立った。

それにつられるように立ち、店員にカレーが来ていないことを伝えた。

しばらくして、またカレーが来た。

しかし、どういうわけかそれにはさっきまで載っていた右半分のピーマンが全て無くなっていた。カレーの部分も誰かに少し食べられているようだ。

さすがに頭に来て、いやこれどういうことですか?と強めの口調で店員にいった。店員は、すみませんとだけ、マニュアルを読み上げるように答えた。

後に来た客たちが、その一部始終を見ていたようで、それぞれ口を揃えて「やっぱりダメだなここは」などと言っているのが聞こえた。

食べられることのなかったペパロニカレー。

僕を戸惑わせたペパロニカレー。

っていうか、ペパロニカレー?

なんだよペパロニカレーって。

そんな食べ物がこの世界にあっただろうか。明け方5時に、なぜペパロニカレーに惑わされなければならないのだろう。

でも確かに、ペパロニカレーに惑わされた。あるいはペパロニをとり巻くその店に。

ここまでのリアルさをもった夢は久しぶりだったので、これは記されるべき物語ではないかと思って、書いておくことにした。

完全に目覚めた後、「ペパロニカレー」を検索してみたが、これといった手がかりは何一つ得られなかった。

どうして人は、スパイスからカレーを作るようになるのだろう

Indian Curry

「どうして男子って、スパイスからカレーを作りたがるんだろうね。いいじゃん、ルーで。うちのお父さんもなんだよね」

そういうセリフがどこからともなく飛んで来た時に、ああ、確かにな。どうして、男子はカレーをわざわざスパイスから作りたがるのだろう、と思った。そういえばそんな風に考えたことがなかったのだ。

もちろん世の中には、スパイスからカレーを作りたがる女子だっているだろう。話がややこしくなるので、ここでばセクシャリティの問題は捉えないでおこう。

思えば、僕の友人や、知人のフォトグラファーにもカレーを(スパイスから)作るのが好きな人が多い。わざわざ汐留あたりのインド系スパイス専門店で、ホールや箱でスパイスを仕入れて、休日のすべてを費やして厨房に立ち、煮込んだものを撮影現場に持参してスタッフに振る舞ったりする。

自己満足なのか、達成感なのか、料理・食に対する情熱なのか欲望なのか。

今はココイチに行けば、あるいはルーを使えばもっと簡単に、時間をかけずに(そしてまずまずの美味しさの)カレーを食べることができる。

仕入れや仕込み、そして煮込みの時間を考えれば、撮影仕事が一本できたり、意味のある論文や文献を一本読んだり、打ち合わせをしたり、ブログを書いたりできる。

それなのに、なぜ?

スパイスからカレーを作ると、人生に新たな意味や爽やかな価値を見いだせるのだろうか。

僕はその領域にいまだ一歩踏み出す事ができずに、スパイスとルーの中間にある、ブレンド済みのインディアンカレーをよく使っている。

おそらく、スパイスからカレーをつくる男子は、暇なのだ。

暇であることが第一前提。そうでなければ、スパイスからわざわざカレーなんて作れない。時間と金銭的余裕があり、さらに万事うまくいっていて精神的余裕もある、そして何かを達成していて、他にやることがもう何もない。

そのような状態になった時、人はスパイスからカレーを煮込み始めるのかもしれない。あるいは、すべての男子がそのような理想を追求していて、まだたどり着いてはいないけれど、理想の疑似体験としての”スパイスからのカレー”をある晴れた休日に実践してみたりする。

ナツメグ、コリアンダー、クミン、カルダモンの夢を、世界中の暇で暇でしょうがない男子たちが、今夜も追い続けている。

ラーメンの撮り方、写真家たちの仕事を参考に

ramen