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Essay Minimalism

2020

明けましておめでとうございます。

昨年に引き続き、今年も東京での年越しとなりました。クリスマスから忘年会、幾つものテクノな夜を超え、気がつけば2020年になっていました。それも元旦ではなく、既に2日くらい経っていました。

半分ネタ的に、そして半分本気でシンプルな生活を追求していたら、5年ほど経っていました。ヨシュアとライアンに出会ったあの頃、同じように全て捨てて、少し増えたり、また減らしたりしながら、ようやく自分のスタイルのようなものができてきたと思います。

欧米圏では「こんまり」が単語になり、日本でも断捨離やミニマリストがすっかり定着してきた感じがします。それはグローバル資本主義経済や物質文明への抵抗という時代の流れも少なからずあるとは思いますが、僕は単純にその心地よさと、集中力の増強という点でとらえています。心地よさは精神の安定に、そして集中力はcreativityの増大に役立ちます。

また、これまで何度も述べているように、節制からくる日本的な断捨離と、欧米圏のミニマリズム思想は対極とは言わないまでも少し遠いところにあると考えています。日本には禅やアニミズム的思想が底流に流れていることも、少なからず影響を与えていると思います。

何れにせよ、目的は違えど、同じような手段をとるため、シンプルライフを追求することが、ある種ファッション的な捉え方をされることは仕方のないことだと考えます。消費を抑える方向に働く断捨離が、実は出費を増大させることは、僕自身も身を持って体験してきました。

ミニマルな生活を始めた5年は、それらを試行錯誤しながら、様々な手法を実験する時期となりました。衣食住、そして自分のビジネスにおいても多くのことを試みました。

結果、「変態」だの「あたまおかしい」だの、あらゆる讃美を頂きながら、これまでなんとかやってこれました。(得たものよりも、失ったもののほうが大きいことは皮肉にもミニマリストならではと言えるでしょう)

今年からは、ある程度固まってきたそのスタイルをブラッシュアップさせながら、さらなる集中力を多方面に発揮させていくつもりです。

スタイルとはランニングのフォームのようなもので、ある程度走っていると、”癖”として勝手に身についてくるものです。それが悪い癖の場合、足を痛めたり、距離やタイムを伸ばせなかったりします。ライフスタイルも同様だと思います。無茶なライフスタイルを送っていると、どこかに必ずほころびが来ます。そしてそれはすでに癖付いているため、本人は”無茶”していると気づきません。

ミニマリズムにおける癖の見直しとは、もう一度すべて捨てることに他なりません。

ここまで読んで頂いた方は、「またばか言っているよ」と笑っていることでしょう。

5年間、ミニマリズムを実践するというのは、難しいようで以外と簡単でした。ミニマリズム自体が持続可能なライフスタイルモデルであるからでしょう。

そして興味深いことに、今また使っている道具や、考え方が当初のスタイルに戻りつつあるということです。備忘録として、次のエントリーに具体的な内容を記すつもりです。

とにかく僕は今、とても新鮮な気持ちです。昨今はこのブログの更新頻度も随分少なくなりましたが、今年はまた書いていこうという気持ちになっています。(いつまで続くかわかりませんが)