ガパオライス

渋谷で食べれない料理はない、と言えるほどこの辺の食文化は豊かだ。

半径3キロ徒歩圏内に、あらゆる国の料理を楽しめる。インド、ベトナム、インドネシア、中華、韓国、タイ、シンガポール、トルコ、イングランド、アメリカン、イタリアン、そしてどこの国かわからないものまで。新生したパルコには、虫も食える米とサーカスが入った。

日本食を見ても、沖縄料理、京料理、九州、下関のふぐ、秋田料理、江戸前寿司と、北から南までだいたい揃っている。

肝心の味は、日本食に関しては上から下までレンジが広いが、エスニックやアジアン料理に関してはネイティブが厨房を回していたりするので、現地で食うのと遜色ない。

東京の街にいくつか住んできたが、その中でも渋谷界隈は特にバラエティに富んでいると感じる。

世界的に見てもこれだけ食レベルが高い街は他に見つからない。

これだけが東京に住む理由だし、東京に住む目的は正直これくらいしかない。と言ったら言い過ぎか。

最近はガパオ。

ガパオライス

もともとテイクアウェイをやってる店が多いので、コロナになっても違和感がないどころか、ますます繁盛しているように見える。

ただ、影響を受けて店じまいをしているところがあるのも確かで、かつ政府が10時まで営業を謳うものだから、飲食店の縮小は加速している。

食のサラダボールのような文化を失うのは、経済縮小以上に悲しい。

経済はいずれ戻るが、失った文化は二度と戻らない。

テーブルトップ

さて、2枚のガパオの写真、どんだけガパオ食ってんだって話しだが、どちらが写真的だろうか。

答えは2枚目。

1枚目は、余計なものを排除して、角度を決め込んで撮影した写真。こういうのをセットアップ写真という。

よりインスタグラム的だし、バエルと言われるのはこのような写真だ。それを突き詰めるとエディトリアルや広告写真になる。

2枚目は余計なものが写っている。スマホにPC、買ってきたビニールの袋、これからまさに食べようとするために置かれたスプーン。水平も角度もとれていない。偶然対角線構図に近くなってはいるが。

写真のリアリティというのは、作り込んだものよりも、その場にある景色をそのまま写し取ったものに宿ると言われる。写真の現場性。

撮影者の意図なしに写り込んでしまったものを、ロラン・バルトはプンクトゥムと呼んだ。上記の写真ではガパオを狙ったにも関わらず写り込んでしまった、PC、スマホ、ビニールに当たる。

この写り込んでしまった、という感覚が、写真的なものであるし、写真を魅力的にするものだ。

テーブルトップ写真の作法については、僕の完成度の低い写真よりも、スティーブン・ショアや、エグルストンという巨匠たちに学ぶのが手っ取り早い。

さあ、今日もガパオ買いに行こう。

ノートで「写真生活」連載中。

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そこにある影と色、写真を読むより音楽を聴くことについて

バルトによれば「ストゥディウム」は一般的、科学的関心を意味し、文化的にコード化された写真受容。それに対して「プンクトゥム」は一般的な概念の体系を揺さぶり、それを破壊しにやってくるものでコード化不可能な細部を発見してしまうような経験である。前者は「好き/嫌い」の次元に、後者は「愛する」の次元に属するという。バルトは『明るい部屋』以前から写真が「コードなきメッセージ」であることを主張し、写真の言表しがたい領域を「第三の意味」や「鈍い意味」、「意味の過剰」といった言葉で説明してきた。